自治・地域のミライ

ガバナンス編集部

自治・地域のミライ|「わたし」の言葉で地域の未来を語るためには 国際教養大学准教授 工藤尚悟

NEW地方自治

2026.04.28

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国際教養大学准教授
工藤尚悟


2021年から秋田県にある国際教養大学で教鞭をとる工藤尚悟氏。地元秋田出身で、地域に身を置きながら、地域のサステイナビリティを研究する。人口減少が進む社会において、将来的にも続いていく地域とは、一体どのような地域なの か。地域にはいない「誰か」の言葉ではなく、地域に暮らす「わたし」の言葉で地域の未来を語ることの必要性を説く。2025年に『<わたし>からはじめる地方論──縮小しても豊かな「自律対話型社会」へ向けて』を上梓。秋田から見るこれからの地方論を聞いた。

戸田善規さんの写真
秋田市にある同大の中嶋記念図書館にて。「本のコロセウム」をテーマにデザインされたこの図書館は、学生や教員は24時間365日利用できる。秋田杉と技術を生かした傘型屋根が特徴的な空間は、学生たちが本と向き合い、勉学に打ち込む「知の闘技場」だ。

不確定要素や多様性があるからこそ、「一元的な地方論」では語れない。

地域のサステイナビリティ

――これまでの地域との関わりについてお聞かせください。

 出身は秋田県能代市。大学も本学に通い、県内で過ごした。どのように持続可能な社会をつくるのかを研究するサステイナビリティ学を専攻し、主に「農村」をテーマに研究をした。学生時代にアルバイトで農村調査に関わり、いわゆる「限界集落」に触れたのが地域との初めての接点だった。

 人口減少が最も進行している秋田のコミュニティが、将来的に存続していくために、人口が減少し高齢化する中で何がアンサステイナブル(持続不可能)なのかを突き詰めたかった。それが分かれば、どうやってサステイナブル(持続可能)にしていけば良いかが見えてくるのではないかと思い、県内各地でフィールド調査をした。大学院(博士課程)からは千葉・柏で過ごしながら秋田に通う生活をした。

 地域のサステイナビリティを研究する上でメインのフィールドにしているのが、秋田県五城目町(ごじょうめまち)だ。2015年に訪れて以来、町の移り変わりを見つめてきた。2021年に本学に赴任し、帰秋。秋田市の本学以外にも、同町のBABAME BASE(五城目町地域活性化支援センター)にも研究室を構え、どっぷりと地域の中に入り込み研究をしている。

工藤尚悟さんの写真

新しい価値観を持った人々との出会い

 当初は、生活インフラなどのいわば“守り”の部分について考えていた。しかし、研究を深めるうちに、それと同時にそこに暮らす人々にとって居心地が良く、ワクワクするような“攻め”の場所にどうすれば転じるのかを考えるようになった。そのひとつのキーワードが、「移住者」だった。

 移住者たちは、全国に数多ある候補地の中から、なぜ秋田、そして五城目町を選んで来たのか。その理由のほとんどが「自己実現」だった。これまで住んでいた場所を離れ、新しい土地で何を大切にして、どんな暮らしをしたいのか、自分なりの言葉と価値観を持っていた。そこには、既存のまちづくりの文脈──例えば新しく特産品を作るとか、○○ツーリズムで人を呼ぶようなコンテンツの開発──とは全く違う、「一人称」の価値観があった。

 これからの地域を考える上で、“守り”も大切にしつつ、地域として新しいフェーズに変化していくためには、新たな価値観を取り込んでいかなければならない。そう考えた時に、五城目の移住者たちの事業や実践するライフスタイルなどの「新しい価値観」をもっと知るべきではないかと感じた。

――地元を離れ、外から秋田を見ていた時期も。いつも暮らしていた地域を見る目線は変わりましたか。

 当初は遠くから「地域の問題がどういう構造で起きているのか」を客観的に分析しようとした。理論や概念を学びながら、“外”の視点から、効果的な解決策のようなものを処方のように提示することができるのではないか──と考えていた。

 外にいると「地方から人口が減り、若い人がいなくなる。地域を活性化するために魅力的な事業をしよう」といったナラティブが強い。都市の大学が地域に学生を送り込み(自分も送られる学生のひとりだった)、1年~3年程度の事業で関わったとしても、いつも通りに戻ってしまう。なかなか現実には地域では大した動きは起きない。

 秋田に戻る以前に、五城目で高校生向けのプログラムを実施したことがある。最終的にしっかり実施できたのは地元側に繋いでくれる人がいたから。外から関わる私はそこに乗っかっているに過ぎなかった。この時に、軸足が外にあるほど遠くから物事を捉えることができる一方で、何かを変えていくための力点にはなり得ないのだと気づいた。

工藤尚悟さんの写真
くどう・しょうご
1984年秋田県能代市生まれ。国際教養大学国際教養学部グローバル・スタディズ領域准教授。東京大学大学院新領域創成科学研究科博士課程修了(博士・サステイナビリティ学)。南アフリカ・プレトリア大学アジア研究センター客員研究員。専門は、人口減少時代の持続可能なまちづくり、南アフリカの農村起業家・地域研究。秋田と南アフリカの農村地域を行き来しながら、異なる風土にある主体の邂逅から生まれる“通域的な学び(Translocal Learning)” という方法論の構築に取り組む。現在は同県五城目町をフィールドに、地域社会のサステイナビリティを研究している。著書に、『〈わたし〉からはじめる地方論――縮小しても豊かな「自律対話型社会」へ向けて』(英治出版、2025年)、『私たちのサステイナビリティ』(岩波書店、2022年)。

情報の非対称性

――現在は秋田に暮らしながら、地域を見つめている。都市と地域の間でギャップは感じますか。

 都市では「人口が減って消滅してしまう、大変だ」と言っている一方で、地方側では「人口が減る」という事実は理解しながらも、それを刹那的に思っているわけでもない。日々を淡々と生き、凛としている光景が目の前にあった。

 このような光景を目の前にし、人が住まなくなる(無住化)=集落が消滅する、という論理は、本当にそうなのか?と疑問に思った。たとえ“集落が閉じた”としても神社やお墓が残り、田畑もある。集落に住んでいなくても車で30分かけて行き、田んぼをやってる人もいる。それでも集落が閉じているといえるのだろうか、という問いが生まれてきた。

 都市(東京)と地方の間には、情報の非対称性がある。都市(東京)から見えている地方と地方から見えている都市(東京)は違う。私がチャンスだと感じているのが、地方側から東京に向けてコンテンツがつくられる時、“チューニング”がされていることだ。逆に東京側から地方に対してそれは基本的にない。つまり地方で動いているプレイヤーのほうが、都市に対する(地方に対しても)解像度は高いのではないか。

工藤尚悟さんの写真
国際教養大学は、2004年に日本初の地方独立行政法人の運営による単科大学として開学。授業はすべて英語で1年間の留学義務がある。工藤さんの母校でもある。

言葉の回復

 昨年出版した『〈わたし〉からはじめる地方論』で強調したメッセージが「言葉の回復」だ。今の日本における地方創生や地域活性化が語られる文脈には、実際に地方に暮らす人が不在だと感じる。地方の外側の言葉で語られてしまい、マスキュリン(男性的)なワードが多い印象がある。地方をめぐる政策では、寛容性やジェンダーロールなど根本的に議論すべき論点がまだまだある。

 一方、地方に目を向けると、たとえば「スーパー公務員」と呼ばれるような人が、現場を解像度高く見ていて、国の政策と上手く結び付けてアウトカムにつなげている場合も多い。これが現場の実践と思いつつも、それ以上の解がないように感じる。本質的には政策と現場との「ねじれ」があるのではないか。

 地方と都市の間には、言葉のバランスの悪さがある。地方のことを話しているのに、話すためのボキャブラリーはいつも外側からやってくる。地方(もっといえば農山村)の日常は、非言語的な部分の存在が大きい。田んぼの水路を手入れしたり、共有地の草刈りをしたりなど、その土地での日々の暮らしがちゃんと続いていくことが大事なのに、その将来像は、外から持ち込まれた“大きな言葉”で語られてしまう。

 自治体職員の方々と話をすると、この違和感に気づいている人は多い。会議では制度上の“大きな言葉”を使っていても、終わった後の立ち話では、地域のことを噛み砕いた、血の通った言葉で話している様子を目にしてきた。職員の皆さんもそこに住む一人の住民であり、日々の暮らしのことをしっかりわかっていて、土地の言葉を持っている。

――著書の中では「風土」という概念を通じて、人口減少という「厄介な問題」への向き合い方を解きほぐしています。

 哲学者・和辻哲郎の「風土」の考え方に衝撃を受けた。風土は「個人」に対する新しい見方を示す。西洋的な考えでは、人間は自由意志を持ち、自己決定できる独立した存在(個)であるとされるが、風土の視点に立てば、人が何を感じ、どう行動するかは、その土地の自然や気候に定義される。

 たとえば、秋田のように5か月も冬が続く土地では、どんなに個人が頑張っても、自然のサイクルに抗うことはできない。「春がやってきて暖かくなっただけで気分が良いな」という感情は自分ではなく、「秋田の風土」が決めているのだ。都市にも都市の風土があるが、それはピュアな自然ではなく人間が効率性を重視してつくり出したものだ。

 自然と人間は、双方向に作用し合っており、両義的にそのあり方を決めている。この理解に基づいて、各地の土地に馴染む暮らし方と働き方を持続させていくという考え方が、「風土のサステイナビリティ」だ。不確定要素や多様性があり平準化できないからこそ、地域は「一元的な地方論」では語れない。「活性化を目指す地方論」という一元的な議論に収まらない。土地ごとに馴染む存在のあり方を認めると、「いくつもの地方論」という多元的な方向性が現れる。特に東日本大震災以降は、このことに気づき行動を起こす人が多くなったように感じている。

工藤尚悟さんの写真

「厄介な問題」として受け入れながら「わたし」の言葉を持つ

 人口減少は「厄介な問題」だ。さまざまな要素が複雑に絡み合い、状況や条件などが衝突してさらに複雑になっていく。正解はないだろう。

 地域と向き合っていく中では、こうした答えのない問題に対して、解決を急ぐのではなく、その厄介さに付き合い続けるための胆力──ネガティブ・ケイパビリティ──が重要だと思う。効率化や数値化では測れない、その土地の不確定要素を受け入れ、楽しみながら、理想的な状況に向かうように小さなステップを積み重ねていくこと。そのプロセスこそが、実はこれからのまちづくりの本質なのだと思っている。

――工藤さんは自治・地域のミライをどのように見ていますか。

 著書『〈わたし〉から~』を読んでくださった方から「何か答えが書いてあると思っていた」と言われることがある。なぜなら、「対話」を通じて小さな企てを連続的につくることを説き、「これをすればいい」というものを示さなかったからだ。

 私は、「課題↓解決」と直線的に物事を捉える方法が、うまくいかない時代にあると思っている。唯一の目指すべき解があるのではなく、今よりもこっちのほうが良いというものが常にある状態。その選択をし続けていくことをあきらめてはいけないと思う。

 日本社会の新しい価値観や仕組み(OS)は、地方から生まれてくるだろう。地方は都市よりも先に課題に直面している。だからこそ、その解(のようなもの)は地方側が持っているのだ。社会の新しいフェーズは地方からじわじわと広がってきているように感じている。イノベーションが地方から生まれ、日本全体を覆っていくだろう。地域の未来は日本全体の未来だ。

 地域や地方の未来を語る言葉は、一人称の「わたし」からつくり出していくことが必要だ。どこかの誰かの語りではなく、「わたし」が今いるこの場所から自らの言葉で語ること。そして立場を越えて、一人の「わたし」として対話をする。語りの主体になるということは、自分の地域に自覚的になり、豊かさを求めることを意味する。このような自律対話型社会へ転換することで、新しい地方像が立ち上がってくるものと信じている。

(取材・構成/本誌 浦谷收、写真/柳田利美)

【工藤さんの新著】

〈わたし〉からはじめる地方論――縮小しても豊かな「自律対話型社会」へ向けて

〈わたし〉からはじめる地方論
――縮小しても豊かな「自律対話型社会」へ向けて
出版社:英治出版
四六判・2,250円(10%税込)

 

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