
自治・地域のミライ
自治・地域のミライ|笑顔があるまちは滅びない。誇りが育てば、いなかは強くなる 前兵庫県多可町長(初代)/(一財)地域活性化センター顧問 戸田善規
NEW地方自治
2026.03.30
出典書籍:月刊『ガバナンス』2026年4月号
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月刊 ガバナンス 2026年4月号
特集:ガバナンス3.0──あらたな時代の地方自治を創る
編著者名:ぎょうせい/編
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前兵庫県多可町長(初代)
(一財)地域活性化センター顧問
戸田善規
2005年、平成の大合併で3町が合併し誕生した兵庫県多可町。この町で初代町長を務めた戸田善規氏。それぞれの個性を持つ町が一つになる中、地域資源の「誇り」を大切にした施策を展開し、3期(旧加美
町長時代を含めると5期)まちづくりを進めた。昨年末、その経験などをまとめた『いなかのステキ学―選ばれるまち・選ぶまち』を上梓した同氏に、町長時代の経験とこれからの地域に必要なことを聞いた。

多可町の北部・杉原谷で生まれたとされる「杉原紙」。1300年の歴史を誇り、かつて平安時代の貴族社会でも重用された最高品質の手漉き和紙だ。兵庫県の無形文化財、伝統的工芸品に指定されている。戸田さんは、地域の財産である「杉原紙」の歴史を研究し、その魅力を町内外に伝える語り部としても活動している。
「磁場のまち」になったら勝手に関係人口が増えていく。
合併とは創造的行為
――旧加美(かみ)町長時代に多可郡の3町(旧加美町、旧中町(なかちょう)、旧八千代町(やちよちょう))が合併し、多可町に。旧加美町長を経て、初代・多可町長となった。合併の時を振り返っていただけますか。
就任当初は、まさか平成の大合併があるとは思っていなかった。とにかく、“住民”のみなさんには丁寧に説明をしようと思った。教えを乞うていた大森彌先生(行政学者)からは、「合併とは単なる足し算ではなく、新しい町を生み出す創造的行為である」と教えられた。そして、「とにかく首長責任で対処しなさい」と言われた。「絶対に住民投票をしてはいけない」とも。だから、“住民”に対して説明に説明を重ねた。50回以上は説明会を行った。
私はなにより、「多可」という名前を失くしたくなかった。古代から続いている地名だからだ。この地名に先人たちの貢献や苦労の歴史が詰まっているからこそ、大切にしたかった。
個性豊かな3つの町が合併した。1300年の歴史を持つ杉原紙発祥の旧加美町、「酒米の王様」と呼ばれる山田錦発祥の旧中町、そして「敬老の日」発祥の旧八千代町、それぞれ“住民”が誇りを持っている。行政区域としての合併はできたが、旧町の個性がぶつかり合っており、これをどう一体化させるかが、一番の悩みだった。私は、「3つの誇りが一つの町に集まったのだ」と言い続けた。そして、「心の合併」ができた時が“本当の合併”と信じた。旧加美町の町長だったので、旧中町や旧八千代町の“住民”からすれば「加美の町長」として見えている。「地元ばかり贔屓する」と皮肉られたものだ。そんなつもりは一切なかったが、だからこそ、それぞれの旧町から多可町長になる人が出て、初めて合併できるという気持ちもあった。3期で辞めたのは、これも一つの要因だった。

――合併し3町の職員が同じ組織の仲間となった。町長として意識していたことは。
合併した時「多可」という名前は、全国的にも無名。いかに知名度を上げるかが私の課題だった。風土産業をつくり、どんどん外に出て発信するよう努めた。
(旧町の)どこの職員かという見方をしたことはない。逆に、その職員たちの良いところをどう引き出すかを考えた。責任は私がとるから、どんどん提案をしてきて欲しいというスタンスで接した。内閣府の「提案募集」に呼応して、国の制度も変えたりして職員たちは頑張ってくれた。
合併した当時、“住民”の町政に対する満足度は低いと思われたので、住民満足度調査を毎年やるようにした。総合計画の基本施策についての重要度と満足度を問うものだが、それでは“住民”の皆さんの興味が湧かないだろうから、「役場の通信簿をつけて」と言っていた。役場の成績を5段階評価で“住民”に付けてもらった。一番最初は3.22、今でもはっきりと数値を覚えている。しかしある年、台風災害に見舞われ、加美と八千代で堤防が決壊し、田んぼの中に土砂が入った。その時の満足度は2.87で過去最低だった。いかに災害が“住民”の満足度を減らすかがよく分かった。
予算が限られている中で、調査の結果をみながら、「重要だと思っているが満足していない項目」に重点的に予算をつけていった。ギャップ分析による選択と集中だ。自由記述欄の様々な提言や苦言がとても参考になった。
とにかく“住民”の声を聞くこと。そして説明すること。大森先生からは、「納得してもらうことは難しいが、役場の説明は理解できるという一線が大事」と聞いていた。
役場は「役に立つ場所」でなければならない。そのために、「さわやかな役場」をつくることを心掛けた。「さ」は、サービス重視。「わ」は、わかりやすい説明。「や」は、やさしい対応。「か」は、改革志向。「な」は、仲のよい人間関係だ。
加美町長時代から、私は『オープン・ドア』という町長通信で、職員に対して発信をしてきた。隠し立てなく、今このような課題に直面し、それに対して町長(私)が何を考えているかがわかるようにした。“住民”に対して丁寧な説明をすることは当然ながら、役場内・職員との情報共有はもっと重要だ。町長室もその名のとおり“オープンドア”で「誰でも入ってきて」というスタンスだった。首長が楽しまなければ、職員は楽しめない。だから私が一番ニコニコとしておこうと思っていた。
――多可町長時代の一番の思い出深いことは何ですか。
一番印象に残っているのは、東日本大震災の支援だ。町のPRをしよ
うと、当時はまだ利用者も少なかったフェイスブック(FB)を2011年2月に開始し、そのFB友達として宮城県村田町の佐藤英雄町長(当時)と繋がっていた。3月11日(金)に発災してから佐藤町長のFBでのSOSを把握し、翌12日(土)には町内全世帯に防災行政無線で支援を呼びかけた。多可町単独で13日(日)にはトラックで搬送、14日(月)に村田町へ届けた。その物資は、村田町を経て沿岸の被災自治体へと届けられた。その後も町独自の支援を第6便まで実施し、近隣市町の住民からの救援物資も含めて被災地に届けた。
支援を呼びかけると、住民の皆さんが次々に救援物資を持って来られた。その時、うちの町は“あたたかい”と心から思った。婦人会にも社協にも議会にも、皆に協力いただけた。“住民”の中には、阪神・淡路大震災で親族などが被災した人も多い。その時の経験から、苦難を身近に感じ、今度はこちらが支援する番という思いを持っていたのだろう。多可町民の気持ちのまとまりを感じた時だった。

とだ・よしのり
1952年生まれ。衆院議員公設秘書、兵庫県加美町議会議長を経て、加美町長(2期)、初代・多可町長(3期)。兵庫県町村会長、全国町村会理事、内閣府地方分権改革有識者会議議員、厚生科学審議会分科会委員、退任後に総務省地域力創造アドバイザーなどを歴任。秋篠宮皇嗣同妃両殿下に進講。2023年春叙勲「旭日小綬章」受章。
「逃げるまち」と「回るまち」
――昨年末に『いなかのステキ学』も発刊。戸田さんが考えるこれからの地域について教えてください。
「いなかのステキ学」は、現場から生まれた実践理論だ。全国の「いなか」に元気を取り戻してもらいたい。新著は「いなかは課題ではなく、可能性である」という私なりの提言書だ。
2014年に「増田レポート」が出され、「消滅可能性自治体」と田舎の多くのまちは呼ばれた。この時、問われたのは、人口の「数」ではなく、まちとしての「意思」だった。
昔のまちが元気だったのは、「役割」と「出番」があり、全員に居場所があったから。しかし、今はその「出番」が減ってしまった。まちを支えるのは「関係の力(量)」だろう。無関心な人が増え、人口減少を恐れ、行事がなくなる。移住定住者が増えないまちは、衰退のサインだ。私は、これを「逃げるまち」と呼んでいる。
一方で、身近なコミュニティを大切にし、関係性が循環し、地域の誇りや情報が共有されているまちは成功するだろう。これが「回るまち」だ。内発的発展型の成功モデルとなる。
地域は「コミュニティ(自治・風土:地域の土台)+ネットワーク(機能連携)+コンパクト(地域拠点)」に「夢」が合わさることが重要だ。コンパクトを先行させるのではなく、コミュニティを土台にして、地域や心がつながり、それからコンパクトにする順番だ。これだと物語が描けて「夢」が生まれる。

紙漉き体験もできる「杉原紙の里」にある「杉原紙研究所」。旧加美町時代の1972年に設立された町立の製紙施設だ。杉原紙の紙漉きの技術と伝統を大切に守り継いでいる。
構造を変えること
よく自治体職員は「動かない」と誤解されている。前例踏襲主義で民間感覚がなく、やる気がない――。しかし、これは動かないのではなく、①評価制度の構造(失敗しないこと、ミスをしないこと、波風を立てないこと:成功しても評価は小さく、失敗すると責任が大きい)②責任の所在(誰が責任を取るのか:動かないほうが安全)③時間軸のズレ(職員は2~3年で異動、首長は4年任期、地域づくりは10年単位:成果が自分の評価に結びつかない)――という「構造」の結果なのだ。
この構造を変えるためには、人ではなく「仕組み」を変えることが重要だ。職員が挑戦しても守られ、たとえ失敗したとしても評価され、責任はトップが引き受ける。地方創生の本質は、制度論でも人材論でもなく、責任の所在をあいまいにしないことだ。
磁場をつくる
住民の顔が見える適正規模は1万2000人程度だ。旧加美町の時は7500人。それだと顔が見えすぎてしまう。1万2000人くらいであれば、公共施設などを最低単位で維持できる。そこに、誇りを合わせ持てば、まちは崩れない。
「磁場のまち」になることが重要だ。磁場を作るのは、まちの中の順回転(循環)だ。これを回すと真ん中に磁場ができ、勝手にヒトやモノが入ってくるようになる。まさに、「回るまち」だ。
合併協議でどんな新町を作るかを議論した時にも「ここにしかない磁場のまちをつくろう」と言った。磁場になれば自然と関係人口が増えていくからだ。
――自治・地域のミライをどう見ていますか。あわせて、首長、そして自治体職員にメッセージを。
まちの誇りさえあれば未来が明るいのではないか。悲観する必要は全くない。私は東京一極集中がこれからもずっと進行するとは考えていない。地域に住んでいる人が満足していれば良いだろう。
移住を受け入れることだけに力を入れてはいけない。大事にしなければならないのは、今住んでいる“住民”の人たちだ。そのことを忘れてはならない。
まちの歴史を知ることが大切だ。歴史を知らなければ、まちの成り立ちや風土がわからないからだ。多可町で言えば、それが「杉原紙」だった。だから、杉原紙の歴史的な位置づけを調べることが重要で、首長を辞めた今も研究している。
首長は、職員を外部の研修や出向に出し、様々な経験を積ませることも必要だ。「複眼思考」が大切なのだ。一方からだけ見て判断をするのではなく、もう一方から景色を見るというトレーニングだ。さらに、職員にはぜひ読書をしてほしい。専門分野だけでなく幅広い本を読むことを勧めたい。
現場を一番知っているのは職員。しかし、職員はあくまで「黒子」だ。職員は、地域に戻れば一住民でもある。地域の一個人として「夢」づくりをバックアップしていく貴重な存在なのだ。
だからこそ職員は地域に飛び出してほしい。出ていくことで、役場が信頼されていく。笑顔は住民の満足があるところにしか生まれないし、笑顔があるまちは滅びない。
(取材・構成/本誌 浦谷收、写真/加藤智充)
【戸田さんの新著】

いなかのステキ学
―選ばれるまち・選ぶまち
発行:セルバ出版
発売元:三省堂書店
四六判・1,980円(10%税込)
★「自治・地域のミライ」は「月刊 ガバナンス」で連載中です。本誌はこちらからチェック!

月刊 ガバナンス 2026年4月号
特集:ガバナンス3.0──あらたな時代の地方自治を創る
編著者名:ぎょうせい/編
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