新・地方自治のミライ
「新・地方自治のミライ」 第87回 有識者と自治体の社会的離隔(ソーシャル・ディスタンシング)
NEW地方自治
2025.06.09
本記事は、月刊『ガバナンス』2020年6月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。
はじめに

2020年3月に、奈良県は『2019年奈良県内における政治意識調査 結果報告書』(以下『報告書』)を公表した。調査は「アクシデント」に見舞われ、「バイアスがかかってしまった」ため「学術的に意味をなさなくなってしまった」という(『報告書』「まえがき」)。読者諸氏も新型コロナ苛政にはうんざりであろうから今回は目先を変えよう(注1)。
注1 行政と有識者の関係では、COVID-19対策にも通じるものがある。牧原出「前のめりの「専門家チーム」があぶりだす新型コロナへの安倍政権の未熟な対応」『WEB論座』2020年5月2日。但し、本論末尾の通り、有識者であっても政治学(特に政治意識調査・投票研究など)と他分野とでは異なる。
調査の政治化
毎日新聞は社説で、「行政の情報収集のあり方として問題をはらむ」と報じた(注2)。「投票率向上などの調査目的と、設問には乖離がある」とする。具体的な政治家個人の「好感度などを公表すれば県民の世論を政治的に誘導する恐れがある。たとえ公表しなくても、有権者の政治動向を知ることで、選挙対策などに反映させる政治利用につながりかねない。調査は中立性の観点からも、県民の税金の使途としても適切さを欠いている」という。
注2 毎日新聞電子版2019年11月18日。
こうして物議を醸していった。県議会定例会でも「投票の秘密などの基本的人権が侵害される恐れがある」との批判が上がった。特に、問題視されたのは、安倍晋三首相、荒井正吾知事、住所地市町村長、大阪維新、大阪都構想について、好感度を問うものである。他に、直近の知事選や県議選などの投票先を聞く設問もあり、選挙利用を疑う声も上がったという(注3)。
注3 産経新聞電子版2019年12月6日07時43分配信。
県による収拾と住民監査請求・住民訴訟

県知事は、回答者が特定されないように処理している、政治意識のあり方を共有して、地方政治のパフォーマンスをよくする意図があった、質問は有識者に一任して自身はほとんど確認しなかった(注4)、県がスポンサーだが内容は学術調査であり、質問も結果の分析も学者に任せている、短期的には反映することはないが、投票はチェックすべき大きなテーマで長期的には県民のためになる、などと反論した(注5)。また、2019年12月16日に県議会に提出された「投票行動分析を通じた地方政治研究事業の見直しを求める決議(案)」は賛成少数で否決されている。
注4 『報告書』「まえがき」でも同様に記述されている。
注5 朝日新聞電子版2019年11月21日03時00分配信
2020年1月9日に、
①委託契約金715万円の支払中止と有識者謝金約31万円の返還、
②今回調査を反省したうえでの再発防止への留意、
を求める住民監査請求が出された(注6)。1月21日には、事業の後半にあたる県内首長らへのインタビューや来年度の調査の実施を見合わせると県は決めた。その理由は、調査を監修した有識者が、批判が出ている状況では実施は難しいと判断したことだという(注7)。住民監査請求のうち②の半分は実現した。
注6 なお、同趣旨の住民監査請求は1月6日にも提起されている。いずれも、合議不調として、2020年3月31日付で公報に掲載された。
注7 朝日新聞デジタル版2020年1月22日9時30分配信。
住民監査請求に対する監査委員の判断は3対1に割れて、3月5日に合議不調となった(注8)。そして、公務員が有権者に投票先を問うことを禁止した公職選挙法に違反するとして、4月2日には住民訴訟が提起された(注9)。
注8 「2019年奈良県内における政治意識調査にかかる住民監査請求についての監査結果」(以下「監査結果」)。
注9 毎日新聞電子版2020年4月3日付。
もたれ合い

報道機関の世論調査や、研究者の調査は、よくある。科学研究費などを取得して、アンケート調査をすれば済む。投票先・政治信条などの要配慮個人情報に関わり得る研究であるから、学術的な倫理委員会などの審査を経た方がよいだろう。
県の公金を直接に使って、「県が調査主体として」(『報告書』184頁)、「学術研究ならびに政策提言を行うことを目的」(『報告書』183頁)として、有識者が調査を実施したことが、紛争を招いた。逆に、県側も本当に「調査主体」だと自覚していれば、中立性に配慮するなど、それ相応の謙抑をしたであろう。
監査請求人からは、県庁統計分析課から出された専門的立場での意見をすべて無視したことが問題を大きくした、と主張された。監査結果によれば、統計分析課の当初の回答文書は「そもそも、県の立場で、誰に投票したのかを調べてもよいのでしょうか」とされていた。しかし、2020年1月24日付で「誰に投票したのかを聞くと、調査票を受け取った人の中には気にする人もいると思われますので、事前に対応を考えておいて下さい」と、知事の方針転換(1月21日)のあと、事後修正されている(「監査結果」第1「監査の請求」3⑵シ、3頁、第2「監査の実施」4⑸ク、11頁)。
なお、統計分析課によると、当初回答文書は県職員が外部専門家に意見を聞き取り、内容を文書化する際に、外部専門家の発言を誤って解釈したうえで作成したという(注10)。ここでも県は有識者にもたれかかっているが、当初回答文書も修正回答文書も県担当課の判断のはずである。しかし、有識者の言動=他人事と思っていたようである。
注10 朝日新聞奈良県版2019年12月14日付。
要するに、有識者は普通の学問的関心で、県の名義を借りて公金を用い、県は公権力としての謙抑に思いが至らなかった(注11)。
注11 「良心」的に解釈すれば、学術調査と認識したがゆえに、県は介入を謙抑したといえる。確かに、学術調査に行政が口出しするとバイアスがかかる。しかし、県の公金と名義で行う以上、行政として党派性への謙抑も必要である。
両者のもたれ合いは、「奈良モデル」の会合を契機に、県知事が「経験的に分かっているが、これまで何となく言われてきたこと」を学問的手法で明らかにする研究プロジェクトを立ち上げる提案をし、有識者側が「大変有り難い話と受け止め」たことから発する。「有り難い」と感じて、「県が推進しておられる「奈良モデル」を研究の側面から補強したい」と思った(『報告書』「まえがき」)(注12)。
注12 「奈良モデル」とは、奈良県ホームページによれば、「市町村合併に代わる奈良県という地域にふさわしい行政のしくみ」であるとともに、人口減少・少子高齢社会を見据え、「地域の活力の維持・向上や持続可能で効率的な行財政運営をめざす、市町村同士または奈良県と市町村の連携・協働のしくみ」のことである。
便宜供与に対して返戻=政策提言を考えるのは「良心」(『報告書』「まえがき」)的である。県は研究の依頼をし、調査目的は示したが、調査手法などの指示はしなかった。そこで、有識者は「奈良県の課題解決の一助になることだけを祈っ」た。有識者側が主体性を失えば、「客観的」、つまり、お「客」様である県の「観」点に配慮した評価になりかねず、それ自体で学術的な客観性を失わせ得る。調査に「バイアス」がかかると、学術的に意味のある提言も不可能となる。贔屓の引き倒しである。
巻き込まれ事故
もたれ合いをすると、「アクシデント」に巻き込まれやすくなる。調査対象者や政治勢力から見ればあまりに違和感のある質問用紙なので、それがSNSに拡散された。学術調査ならば、政治的にも、突っ込みようもないが、県の名義で行うから疑義が生じる。「社会常識」を外れて、行政の名前で調査をしたので、常識では有り得ない事態に至る。
研究者は、「自殺的な行為を行うだけの誘因を持っていない」(『報告書』「まえがき」)が、自殺的な行為をできる。しかも、有識者や県側の不手際ではなく、「残念なことであるが、これも民意」と言う(注13)。「トラブル」を防ぐためには、住民「調査リテラシーの向上」も課題だとする(『報告書』4頁)。しかし、本来、調査側が「アクシデント」を招かないように、行政の力を借りずに学術調査をすればよかった。実際、多くの「トップクラス」(注14)の研究者によるサーベイ調査は「トラブル」を避けている。
注13 奈良県が政治的中立性を侵したような行動をすると一部奈良県民は政治参加をする民意を持つ、という意味で、奈良県民の政治参加意識・行動が高いことを実証したのは、学術的「成果」とも言える。研究倫理としては批判も有り得ようが、「炎上調査」とでも称すべき新しい調査様式かもしれない。
注14 2019年11月20日奈良県知事定例記者会見。
おわりに
ごくありふれた政治意識調査が、実務上・政治上の騒動になり、調査自体もバイアスがかかって無価値になった。誠に不幸な出来事である。
行政が学術調査研究を支援することはあるが、研究の自由を歪めないよう、研究結果に「バイアス」を生まないように、また、行政自身の政治的中立性を侵さないように、多段階の遮蔽と距離が必要である。
また、研究が政治・行政・政策に関わるときにも、学問の政治的中立性や自由にかかる多段階の配慮が必要である。特に、選挙や投票には直接に関与しないよう自制すべく、政治的・党派的・選挙的中立性を賢慮すべきである。政治家の好感度や投票先のような調査は、行政の資金や名義を借りず、報道機関や研究者が行政・政治から独立して行うのが、「社会常識」であった。選挙・投票などを研究対象とする自治体政治学のミライには、他の専門分野とは異なる社会的離隔化が必要であろう。さもなければ、「アクシデント」を招来して、ミイラのように包帯でグルグル巻きになってしまう。
Profile
東京大学大学院法学政治学研究科/法学部・公共政策大学院教授
金井 利之 かない・としゆき
1967年群馬県生まれ。東京大学法学部卒業。東京都立大学助教授、東京大学助教授などを経て、2006年から同教授。94年から2年間オランダ国立ライデン大学社会科学部客員研究員。主な著書に『自治制度』(東京大学出版会、07年)、『分権改革の動態』(東京大学出版会、08年、共編著)、『実践自治体行政学』(第一法規、10年)、『原発と自治体』(岩波書店、12年)、『政策変容と制度設計』(ミネルヴァ、12年、共編著)、『地方創生の正体──なぜ地域政策は失敗するのか』(ちくま新書、15年、共著)、『原発被災地の復興シナリオ・プランニング』(公人の友社、16年、編著)、『行政学講義』(ちくま新書、18年)、『縮減社会の合意形成』(第一法規、18年、編著)、『自治体議会の取扱説明書』(第一法規、19年)、『行政学概説』(放送大学教育振興会、20年)、『ホーンブック地方自治〔新版〕』(北樹出版、20年、共著)、『コロナ対策禍の国と自治体』(ちくま新書、21年)、『原発事故被災自治体の再生と苦悩』(第一法規、21年、共編著)、『行政学講説』(放送大学教育振興会、24年)、『自治体と総合性』(公人の友社、24年、編著)。