連載 vol.40「つながる」力 “絆” から “つながり”へ 【林 正生(東京都職員〈「岩手県大槌町」派遣中〉)】
地方自治
2022.07.04
本記事は、月刊『ガバナンス』2017年7月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。
所属等は執筆(掲載)時点のものです。
※本コラムは主に自治体職員によるネットワークのメンバーがリレー形式で執筆します。
東日本大震災を機に被災地派遣職員へ
私は、富山の民間土木コンサルタント会社に25年間勤め、東日本大震災を機に復興支援をしたいとの思いで会社を辞めた。そして最長5年間の東京都任期付被災地派遣職員となり、2012年9月から岩手県大槌町役場へ土木技術者として派遣された。
震災時、大槌町役場は、津波によって職員120人のうち町長はじめ幹部職員など40人の尊い命を失い、行政機能が麻痺した。震災から6年あまり経過しているが、今もなお町づくりなどの復興事業は、中途段階だ。大槌町役場への自治体などの応援職員は11年度に始まり、全国各地から毎年約100人、延べ727人を受け入れている。
私の大槌町での “つながり” のきっかけは、休日のイベントのボランティア活動や岩手県沿岸自治体職員の有志で構成された「三陸沿岸交流会」であった。参加者は、復興などに熱き思いで頑張っている方々で、これらの交流の縁がつなぎ役として動き出す礎となった。
震災直後は、ボランティアによる「支え合いや助け合い」の “絆” であった。現在、ボランティア活動は少なくなったが、人々の結びつきによる「相手の気持ちが離れない」 “つながり” へと変化している。私が大槌町でできることは、復興のみでなく将来の町のために “人とのつながり” を持たせることだと感じている。
現在、私は帰任した職員も含めた応援職員の交流を目的とした「大槌町応援職員の会」、岩手県内の高校生交流で震災の再認識を目的とした「岩手県高校総会」、様々な地域から復興支援をしている大学生同士のつながりを目的とした「大学生交流」などの活動を通じて、人々を結びつけている。
現在、被災地以外の地域では、震災の記憶の風化が進んでいるが、東北では、「出会い、めぐり逢い、つながり」によって生まれる人の温かさが、今なお続いている。私は、東北で多くの人々に支えられながら、大好きな大槌町でしかできない “つながり” を大切にして、今後とも頑張っていく。
(東京都職員〈「岩手県大槌町」派遣中〉/林 正生)