トモダチ作戦 ともう一つの緊急事態宣言(東日本大震災 10 年 その1) 山村 武彦〔防災システム研究所 所長〕

NEW地方自治

2021.02.26

トモダチ作戦ともう一つの緊急事態宣言(東日本大震災10年その1)

1.トモダチ作戦と富岡町

東日本大震災発生時、米国は「トモダチ作戦(Operation Tomodachi)」を展開。陸・海・空延べ2万4000人の将兵、190機の航空機、24隻の艦艇を投入して日本を支えてくれた。打ちひしがれていた国民と被災者は、あの時どれほど慰められ励まされたことか、思い返すだけでも胸が熱くなる。震災2年後に着任した駐日大使キャロライン・ケネディ氏は、この作戦について、「3.11トモダチ作戦は、2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件の時に、日本の消防救助隊が駆けつけてくれた事に起因する」とコメントしている。だが、日米における相互支援の歴史は古く、米国のトモダチ作戦は今回が初めてではない。とくにオバマ大統領は98年前の関東大震災トモダチ作戦を参考にしたといわれている。その背景には福島県双葉郡富岡町が重要な役割を果たしていた。
昨年11月、富岡町で講演した。受講者は主に除染作業に携わる事業所などの管理者や経営者たち。当日は新型コロナ感染防止対策として、収容500人の会場で200人に入場制限し三密対策や消毒徹底での開催であった。桜の名所「夜の森公園桜トンネル」でも名高い富岡町へは震災前にも何度か訪れている。それは「関東大震災の奇跡」という文章を書くためであった。

2.98年前のトモダチ作戦

1923年9月1日午前11時58分、相模湾を震源とするM7.9の関東大震災が発生。死者・行方不明105.385人、全半壊家屋372,659棟という最悪の激甚災害だった。昼食時間帯の地震により火災が多数発生。東京・横浜の中心街は約2日間燃え続け、犠牲者の87%が焼死という凄まじい猛火に焼き尽くされた。焼け跡をさまよう被災者は190万人に上り、水、食料はおろか医薬品さえ不足する中、情報も途絶し地獄の様相を呈していた。
その一か月前に就任したばかりの第30代米国合衆国大統領ジョン・カルビン・クーリッジは、日本で大地震発生の一報を受け、即刻大正天皇に電報を送った。「日本国民は未曾有の震災に遭遇しつつありとの飛電頻々として全国に達し、驚愕措くところを知らず、茲に貴国に対し余自身及び米国民の何より哀心同情の意を表す、若し貴国罹災民の困苦を減少の道あらば如何なる努力も惜しむに非ず」(日本側が発表した訳文を河北新報が9月4日付朝刊に掲載)。時を移さず大統領は陸海空軍への救援出動を命令、太平洋航路の民間汽船に対しても、向こう1か月間の予約をすべて取り消し日本支援に当たるよう要請する。また休日にもかかわらず米国赤十字社の幹部を集め、救援募金の全国運動を指示する等、大統領の陣頭指揮による関東大震災トモダチ作戦が始まった。

3.1分早ければ、1人多く助かる

当時、清国に滞在中の米国アジア艦隊司令官は訓令を受け、直ちに通信連絡艦を送るとともに、大量の救援物資を7隻の駆逐艦に満載し日本に向かわせ、自らも重巡洋艦で横浜港に入る。このトモダチ作戦には旗艦ヒューロンを含め18隻の艦船が投入された。全米向けラジオ放送による大統領の呼びかけに応じたニューヨーク州知事は、翌日の新聞に「HELP JAPAN(日本を助けよう」の全面広告を打つ。
「1分早ければ、1人多く助かる(Minutes Make Lives」が、全米で展開された日本救済募金運動のキャッチフレーズであった。「日本を救え!」沿道の観衆が声を上げる中、軍人、ボーイスカウト、婦人団体などが日本国旗を広げ楽隊と共に行進し、短期間に約1700万ドルを集め日本に贈った。これほど日本に肩入れする理由を問われたクーリッジ大統領は、「1906年のサンフランシスコ地震で我々が困窮と混乱に陥った時、日本は世界各国の中で真っ先に最大の支援を実行し激励してくれた。その友人が耐えがたい苦難に直面している。今こそ恩返しをしなければならないのだ」と答えている。関東大震災時、世界で一番早い見舞い電報を打ち、世界で一番多くの医療チームを派遣し、世界で一番多くの艦船と物資を送り、世界で一番多くの義捐金を日本に届けた国。その米国の迅速なトモダチ作戦を可能にしたのが富岡町深谷にあった磐城国際無線局富岡受信所以下「富岡無線局」であった。

4.海外に発信し続けた富岡無線局

震災から2年目、NHKは原発事故の影響で放送を休止していた富岡町の双葉ラジオ中継放送所が復旧し、ラジオ第1放送を再開したと発表。その場所こそ関東大震災当時、米国へ惨状の第一報を届け、その後も発信し続けた富岡無線局の跡地である。
関東大震災では震害と大火で首都圏に集約されていた無線・陸線の情報システムすべてが損壊し、被害状況と救援要請の情報発信機能を失っていた。神奈川県知事らは横浜港に停泊中のコレヤ丸に乗船し、船舶無線で大阪に向け救援要請を発信するが、電波が輻輳していてすぐには届かなかった。しかし、それを傍受した銚子無線局が中継してようやく悲報が伝わっていく。富岡無線局がそれを受信すると、直ちに米村嘉一郎局長が英文に翻訳し、南相馬市原ノ町にあった当時としては東洋一の国際無線塔からホノルル無線局宛に送信。「横浜港内ニ停泊汽船ノ報ニ曰ク、横浜地震ノタメ全市建物全滅、同時ニ津波起コリ、家屋流失、各所ニ火災起コル通信ノ途ナシ」。その第一報はホノルル局からサンフランシスコ経由でその日のうちに大統領へ届いたのである。その後、船橋無線局の回復などで東京周辺の壊滅的被害も判明。富岡無線局は24時間体制で受発信を続けた。それが後に「関東大震災の奇跡」と呼ばれる米国のトモダチ作戦につながっていくのである。欧米各紙は富岡無線局の活躍を詳細に報じ、「TOMIOKA」の名は一躍海外に知られるようになる。後日米村局長が米国を訪問した際には盛大な歓迎セレモニーが催されるなど、富岡無信局の功績は高く評価された。

5.10年経てなお解除されない緊急事態宣言

富岡町は震災直後、原発事故で全町避難した町である。その後除染が進み、一部を除き帰還困難区域と避難指示が解除され、鉄道・国道が開通し、病院や小中学校も再開した。私は講演の前日に現地入りし、夜の森公園の桜の花模様が刻まれた慰霊碑、東京電力廃炉資料館、除染作業後の廃棄物処理施設などを見て回った。また、防潮堤の内側には流失した松林の復元を託された松の苗が風に揺れていた。思わず「風雨に負けず大きくなれよ」と祈る。
震災前、富岡町の人口は1万5800人だったが、昨年12月末で1万2374人とのこと。住民が戻ってきていると思った。しかし、これは住民登録数であって居住者数ではなかった。現在の居住者数は1568人で、震災前の10分の1にすぎない。「住宅街の除染は進んだが、山林などが除染されていない」「廃炉作業中に何があるか、まだわからない」などと、戻らない避難者の多くが放射能の不安と、安全性への不信感を払拭できないでいる。2011年3月11日に発令された原子力緊急事態宣言は、10年経ていまだに解除されず、廃炉作業はあと30年かかるという。人影のないJR富岡駅前に立ったとき、「緊急事態宣言が解除されない限り、この町に真の復興はない」とつぶやいた住民の悲しみが強く胸に迫ってきた。

防災システム研究所 所長

 

山村武彦氏近景
山村武彦(やまむら・たけひこ)
防災システム研究所 所長 1943年、東京都出身。新潟地震(1964)を契機に、防災・危機管理のシンクタンク「防災システム研究所」を設立。以来50年以上にわたり、世界中で発生する災害の現地調査を実施。報道番組での解説や日本各地での講演(3,000回以上)、執筆活動などを通じ、防災意識の啓発に取り組む。また、多くの企業や自治体の防災アドバイザーを歴任し、BCPマニュアルや防災マニュアルの策定など、災害に強い企業、社会、街づくりに携わる。著書は、『災害に強いまちづくりは 互近助の力 ~隣人と仲良くする勇気~』『南三陸町 屋上の円陣』『スマート防災 災害から命を守る準備と行動』(以上、ぎょうせい)、『新・人は皆「自分だけは死なない」と思っている』(宝島社)など多数。

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