自治体の防災マネジメント
自治体の防災マネジメント[46]災害ボランティアと三者連携
地方自治
2020.12.30
自治体の防災マネジメント―地域の魅力増進と防災力向上の両立をめざして
[46]災害ボランティアと三者連携
鍵屋 一(かぎや・はじめ)
(月刊『ガバナンス』2020年1月号)
1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生してから、まもなく25年を迎える。膨大な課題と教訓を残した大災害であるが、前向きなものではボランティアが大活躍し、後に「ボランティア元年」と呼ばれるようになった。また、政府は「防災とボランティアの日」を毎年1月17日とし、1月15日から1月21日までを「防災とボランティア週間」と決定した(1995年12月15日閣議了解)。
2019年もボランティアが被災地で大活躍した。各地のボランティアセンターを通じて活動したボランティアの延べ数は次の通りである(2019年12月5日まで。全国社会福祉協議会調べ)。
・8月27日からの大雨(佐賀県5市町・福岡県1市)6市町で1万1387人
・台風15号(千葉県23市町・東京都1町)24市町で2万3361人
・台風19号(岩手県9市町村、宮城県11市町、山形県1町、福島県16市町村、茨城県5市町、栃木県10市町、群馬県7市町村、埼玉県7市町、千葉県20市町、東京都7区市、神奈川県2市、新潟県1町、長野県11市町村、静岡県4市町)の計111市区町村で17万9060人
なお被災地では災害ボランティアセンターを通じて活動するボランティア以外にも、NPOによる活動や、自治会・地縁組織など地域住民同士の支え合いによる活動が行われている。このボランティア活動者数は、被災地でのボランティア活動の状況を表す参考資料の一つである。
東日本大震災でのボランティア活動の事例
東日本大震災では、短期間のボランティア活動とともに、息の長いコミュニティ支援活動が随所に見られた。その一つとして宮城県七ヶ浜町を支援した「認定NPO法人レスキューストックヤード」の活動を紹介したい。(*)
*出典:認定NPO法人 レスキューストックヤード「七ヶ浜を支える」
http://rsy-nagoya.com/higasinihon/hichigahamaat.html
〇災害ボランティアセンターへの支援
レスキューストックヤードが七ヶ浜町に入り、真っ先に行ったのが災害ボランティアセンターの支援である。資器材や物資を提供するとともに、まさに飲まず食わずで活動する社会福祉協議会の職員や、ボランティアに駆け付けた地元の中高生らのために炊き出しを行った。
〇仮設住宅経験者による情報提供
仮設住宅の建設が進むと、避難者の入居前の不安を少しでも取り除いてもらおうと、新潟県中越地震や能登半島地震などを経験した方たちを招き、仮設入居に関する情報提供と、被災者同士の交流を図ってもらった。
〇活動拠点
2011年4月23日に支援活動拠点兼ボランティアの宿泊施設「ボランティアきずな館」がオープン。1階の「きずな喫茶」(休憩所)として開放した共有スペースに町民が寄っていただけるようになり、ボランティアの生活環境も日々改善されていった。
〇たべさいんプロジェクト
2011年5月、レスキューストックヤードとつながりのある愛知県安城市の農園や宮崎県の新燃岳噴火災害被災地から提供された野菜で漬け物をつくり、避難所に配る「たべさいんプロジェクト」が始まった。
プロジェクト名は「どうぞ召し上がって」という意味の方言にちなんでいる。「七ヶ浜町婦人と暮らしを考える会」、「ゆいの会」の皆さんや地元ボランティア有志の皆さんが、ボランティアきずな館のキッチンを活用して調理。避難所で「こんにちはー」と声をかけながらお年寄りたちに漬け物を手渡しすると、「食欲が出てきたよ」「ありがとう」と会話も広がり、野菜不足解消にもつながった。この活動は避難所が閉鎖するまで続いた。
〇応急仮設住宅への支援
応急仮設住宅への入居が始まると、とじこもりがちになる独居高齢者らの個別訪問を重ねて困りごとを把握したり、集会所を利用してもらうよう声を掛けたりした。また、津波で流された家屋の材木を特別にいただき、加工した板で入居者の「表札」をつくって取り付けた。地元の中学生にデザインしてもらった表札は、「星」が輝いていたり、本物の貝殻がついていたりする素敵なものばかりだった。
〇七の市商店街設置・運営サポート
2011年12月11日、七ヶ浜町生涯学習センター敷地内に仮設店舗「七の市商店街」がオープン。 地元の向洋中学校美術部や町内外のボランティアら約100人は、名古屋造形大学やさしい美術プロジェクトや未来予想図実行委員会とともに各店舗の看板を手作りし、店主たちに贈った。七の市商店街は月1回のミーティングやイベント運営、オリジナル商品である七ヶ浜町の食材を使った「七ヶ浜復興バーガー」や「七宝汁」の開発を行い、「町の憩いの場所にしたい」、「七ヶ浜町が頑張っているところを見せたい」という想いを形にしようと奮闘している。
〇七ヶ浜町復興応援サポータープロジェクト
「ボランティアにとって七ヶ浜町を『被災地』ではなく『また訪れたい場所』にしてもらうため、内から外への情報発信をしよう」と、復興に携わる地元団体と連携し、2012年9月から始まったプロジェクト。「七ヶ浜の今を伝える」ブログ、フェイスブック、ツイッターを定期的に発信。フェイスブックの「いいね!」数も1000を超え、七ヶ浜町民の登録も増えている。
〇きずな公園
「震災後も安全に遊べる場所が欲しい」という母親の言葉がきっかけとなり、2013年7月15日にオープン。企業、大学などから支援をいただき、交流企画「七ヶ浜を食べよう!復興ぼっけ祭り2013」(2013年11月)が行われた。子どもを含め約30人の住民が参加したワークショップを経て、ボランティアと共に看板や椅子、復興モニュメントを作成し、園庭に設置。現在は定期的に清掃やイベントが開催され、賑わいの場となっている。
そして三者連携へ
七ヶ浜におけるレスキューストックヤードの活動は、災害前からの行政や社会福祉協議会とのつながりを活かして、応急対応期には災害ボランティアセンターの設置・運営支援を行い、被災者が避難所、仮設住宅、復興住宅というライフステージが変化し、ニーズが変わるなかで、活動拠点を設けながら途切れることなく継続された。これによる被災者への特に精神面での効果は計り知れない。
これは、被災地外からのボランティアによる活動が効果をあげるためには、行政や社会福祉協議会との緊密な連携が重要であることを示す好事例となった。
その後の熊本地震で、行政、社会福祉協議会、ボランティアの三者による「火の国会議」が開催され、平成29年九州北部豪雨、大阪府北部地震、平成30年7月豪雨、北海道胆振東部地震でも、被災道府県にて「情報共有会議」が開催されることが、近年定着化してきた。さらには、平時からの三者連携体の構築が進展し、三者連携体があると回答した都道府県は27に上る(2018年7月~8月、内閣府調査)。
今後、長期間にわたるボランティア支援を行うためには、レスキューストックヤードのような経験を積んだ災害支援NPOの存在が重要であり、その活動を資金的、人的に支える制度、社会環境も不可欠である。さらに言えば、避難所運営や被災者アセスメント、専門家との連携、伴走型の支援活動など専門性の高い災害対応を行えるNPOが求められている。大災害を見据えて、このような災害支援NPOを戦略的に拡充することが求められている。
Profile
跡見学園女子大学教授
鍵屋 一(かぎや・はじめ)
1956年秋田県男鹿市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、東京・板橋区役所入区。法政大学大学院政治学専攻修士課程修了、京都大学博士(情報学)。防災課長、板橋福祉事務所長、福祉部長、危機管理担当部長、議会事務局長などを歴任し、2015年4月から現職。避難所役割検討委員会(座長)、(一社)福祉防災コミュニティ協会代表理事、(一社)防災教育普及協会理事 なども務める。 著書に『図解よくわかる自治体の地域防災・危機管理のしくみ』 (学陽書房、19年6月改訂)など。