「新・地方自治のミライ」 第68回 LGBT・ヘイト 都人権条例のミライ
NEW地方自治
2024.12.13
本記事は、月刊『ガバナンス』2018年11月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。
はじめに
東京都は、去る2018年10月5日に、いわゆるヘイトスピーチ規制と性的少数者差別禁止を柱とする、「オリンピック憲章にうたわれる人権尊重の理念の実現を目指す条例」(以下、「人権条例」)を制定した(注1)。2020年盛夏に余裕を持って間に合うように、2019年4月に全面施行の予定である。
注1 朝日新聞電子版 2018年10月3日23:58配信。
定例会見で、「多種多様な個性が輝いて活力あふれる東京の実現に邁進したい」(注2)と語る小池都知事ではあるが、同時に、「排除します」という応答を瞬間的に行ってしまう(注3)。多様性の尊重は、理念は分かったつもりでも(注4)、それを具体的な言動として実現することは、いかに難しいかを都知事自ら体現してきた。人権条例が「理念の実現を目指す」という名称なのは、意味深長である。理念だけではダメである、実現が必要である、しかし、実現は容易ではないから、せめて理念の実現を目指そう、という気持ちであろう。
注2 人権尊重と多様性尊重とは、必ずしも同じではないと思われるが、人権条例は「多様な個性」と関連づけて説明されている。産経新聞電子版、2018年10月5日付。
注3 毎日新聞電子版、2017年9月30日付。
注4 頭で理解しない地下水脈や新しくない潮流も、列島社会の基底には流れ続けるだろう。
今回は、人権条例が、このような内容になった背景を採り上げてみたい。なお、人権条例への懸念である、行政による恣意的な表現の自由への侵害の懸念については、指摘するだけに留めておく。
人権条例の概要
「いかなる種類の差別も許されない」(1条)と規定する人権条例ではあるが、多様な個性の点で許されない差別は、主に二つである。
第1は、LGBT差別である。「性自認(自己の性別についての認識)」や「性的指向(自己の恋愛または性愛の対象となる性別についての指向)」を理由とする不当な差別的取扱を禁止する(4条)。また、差別解消と性自認・性的指向に関する啓発などの推進のため、都民などの意見を聴いて基本計画を策定して、取組を進める(5条)。差別解消に向けて、都民・事業者も協力の責務を負う(6条・7条)。
第2は、ヘイトスピーチである。「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」4条2項に基づいて、都の実情に応じた施策をすることで、「不当な差別的言動」の解消を図る(8条)。まず、不当な差別的言動を解消するための啓発等を推進する(10条)。次いで、公の施設で不当な差別的言動が行われることを防止するため、利用制限基準を定める(11条)。さらに、不当な差別的言動に該当する表現活動について、表現内容の拡散防止措置や、事案概要を公表する。ただし、公表が差別解消を阻害するときなどは、公表しないことができる(12条①)。上記の拡散防止措置・事案公表は、都民などの申出または職権により行う(12条②)。表現活動が不当な差別的言動に該当すると認めるとき、都民などから申出があったとき、拡散防止措置・公表を行うときは、審査会の意見聴取をする(13条①③)。
なぜ「新しい人権課題」か
人権条例は、「オリンピック憲章にうたわれる」と称しているが、LGBTと本邦外(注5)出身者ヘイトのみを採り上げる。しかし、オリンピック憲章「根本原則6」は、「人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会のルーツ、財産、出自やその他の身分などの理由による、いかなる種類の差別」と幅広い。特に日本では、男女格差解消自体が進まず、アイヌ・被差別部落出身者・路上生活者・障碍者・福祉受給者などをめぐる差別もある。
注5 「本邦」という表現自体が、既に差別的かもしれない。「本」の対義は「末」「支」「分」などである。
東京都の説明資料「条例のポイント」(注6)によれば、「東京2020大会後も見据え、首都東京が条例で宣言することで、ホストシティ(注7)にふさわしいダイバーシティを実現」するために、「新たな人権課題にも光を当てる」と説明されている。なぜ、それがLGBTとヘイトなのかという点は、必ずしも明らかではない。
注6 2018年5月11日、東京都総務局報道資料。
http://www.metro.tokyo.jp/tosei/hodohappyo/press/2018/05/11/08.html
注7 「ホスト」という概念も悩ましい。「おもてなし」をするのは、「ホスト」だけでもなく「ホステス」かもしれないが、「性」を内包した言語概念は、LGBTを考える上でも根が深い。例えば「男子の本懐」というマッチョな表現があるが、『女子の本懐』(小池百合子著、文春新書、2007年)という用語もある。
あえて推論すれば、その本旨は条例「前文」から解読できる。「前文」によれば、「東京は、首都として日本を牽引するとともに、国の内外から多くの人々が集まる国際都市として日々発展を続けている。また、一人一人に着目し、誰もが明日に夢をもって活躍できる都市、多様性が尊重され、温かく、優しさにあふれる都市の実現を目指し」(下線・筆者)ているという。オリンピック・パラリンピックを奇貨として制定するものではあるが、上記のように2020年後に繋がることが狙い目である。簡単に言えば、国内外から多くの人々が集まる国際都市として「日々発展」をするためには、LGBT差別と本邦外出身者差別は有害なのである。
LGBTはカネになる?
人権条例の背景は、LGBTなど多様な個性が東京に集まることで、経済発展を得たいという発想である。LGBTには経済力が高い人がいるため、LGBT差別は経済力の高い人々を排除するので、東京の発展にとってマイナスである。LGBT差別解消に消極的な保守系議員を説得する材料は、経済にプラスになるという理由が効果的なのだろう。
情報化社会のなかでの都市間競争の一つの指針が、「創造的都市」論(リチャード=フロリダ)である。都市は、「創造的階級(クリエイティブ・クラス)」と、そうでない階級から成り立ち、発展する都市は創造的階級を惹き付ける。創造的都市は、「グローバル・クリエイティビティ・インデックス(GCI)」が高い。それは、技術(テクノロジー)・才能(タレント)・寛容(トレランス)という三つのTからなる。具体的に寛容を測定する一つが、「ゲイ指数」である。つまり、ゲイなどのLGBTが暮らしやすいことは、寛容性を示し、創造的都市として発展する、という方程式である。
差別意識を解消する際に、経済力(=創造性・経済的生産性)に論点を逸らし、搦め手から啓発する作戦はひとつの戦術ではある。もっとも、経済的生産性に基づく「差別」「格差」の水脈や新潮流を氾濫させるかもしれない。水は低きに流れる。男女差別解消のために、女性の経済能力を活躍させる方が企業や日本経済にとって有利だと説得する戦術は、経済力のない女性の貧困を放置させる面がある。
外国人もカネになる?
同様に、本邦外出身者へのヘイトスピーチは、不寛容の指標といえ、同様に創造的都市論からも重要対象となろう。さらに、外国人移入民労働者による経済発展・介護確保戦術のためにも、外国人差別解消は不可欠である。もっとも、あくまで「カネになる外国人」へのヘイトを選択的に規制したいだけである。
東京都の国家戦略特区は、外国人医師特例(外国人患者需要)、外国人家事支援人材特例、外資系企業向け東京開業ワンストップセンターや東京圏雇用労働相談センター、外国人向け創業人材受入促進事業など、「カネになる外国人」向けの政策を掲げている(注8)。もちろん、インバウンド観光客やオリンピックの招致自体も、「カネになる外国人」が目当てである。外国人が来都してヘイトに直面するようでは、東京は見捨てられるだろう。
注8 東京都ホームページでは、「Invest Tokyo」のなかの「国家戦略特区」である。
https://www.investtokyo.metro.tokyo.lg.jp/jp/about/nssz.html
しかし、逆に言えば、カネにならない本邦外出身者への差別には無関心となる。朝鮮学校への補助金停止や、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への都知事名追悼文の中止は、容易である。経済的価値がなければ、地下水脈に存在する排外差別が噴出する。さらに、諸外国の移民排外運動のように、「仕事を奪われた」と思う人々が多くなれば、経済的にも排外差別が正当化され、排外性と経済性との二重の水脈に沿って差別が新たに逆潮流する恐れもある。
LGBTも本邦外出身者も都民も「都庁の沙汰もカネ次第」が、東京のミライなのであろう。
Profile
東京大学大学院法学政治学研究科/法学部・公共政策大学院教授
金井 利之 かない・としゆき
1967年群馬県生まれ。東京大学法学部卒業。東京都立大学助教授、東京大学助教授などを経て、2006年から同教授。94年から2年間オランダ国立ライデン大学社会科学部客員研究員。主な著書に『自治制度』(東京大学出版会、07年)、『分権改革の動態』(東京大学出版会、08年、共編著)、『実践自治体行政学』(第一法規、10年)、『原発と自治体』(岩波書店、12年)、『政策変容と制度設計』(ミネルヴァ、12年、共編著)、『地方創生の正体──なぜ地域政策は失敗するのか』(ちくま新書、15年、共著)、『原発被災地の復興シナリオ・プランニング』(公人の友社、16年、編著)、『行政学講義』(ちくま新書、18年)、『縮減社会の合意形成』(第一法規、18年、編著)、『自治体議会の取扱説明書』(第一法規、19年)、『行政学概説』(放送大学教育振興会、20年)、『ホーンブック地方自治〔新版〕』(北樹出版、20年、共著)、『コロナ対策禍の国と自治体』(ちくま新書、21年)、『原発事故被災自治体の再生と苦悩』(第一法規、21年、共編著)、『行政学講説』(放送大学教育振興会、24年)、『自治体と総合性』(公人の友社、24年、編著)。