事例紹介▶︎板橋区(東京都) 人流データを用いてイベントの効果測定・分析を実践
地方自治
2023.07.13
この資料は、地方公共団体情報システム機構発行「月刊J-LIS」2023年6月号に掲載された記事を使用しております。
なお、使用に当たっては、地方公共団体情報システム機構の承諾のもと使用しております。
事例紹介▶︎板橋区(東京都) 人流データを用いてイベントの効果測定・分析を実践
(特集 EBPMの活用で地方の魅力向上)
板橋区政策経営部IT推進課 DX戦略係係長 安藤正博
1 本取り組みに至った背景と経緯
EBPMという言葉が地方公共団体に広く定着してきている一方で、大規模なビッグデータの実証実験などに事例が限られており、個別事業でのデータ分析にEBPMの手法が用いられているとはいえないのが現状です。板橋区においても、EBPMの対象や手法についての定義が定まっておらず、データ分析を政策立案に取り入れられているとはいえない状況でした。
EBPMをどのように定義するかは地方公共団体によって様々ですが、データ分析を活用した政策立案の手法であることに異論はないと思います。民間企業では、営業利益を数値目標として、事業計画を立案・検証し、ビジネスを進めていくことが基本になります。この際に使われているのがマーケティングの手法であり、各事業の効果検証に活用されるのがデータです。板橋区IT推進課では、この民間企業でのマーケティング手法をヒントにEBPMを実践できないかと考え、効果検証のモデルを検討し、実証実験を企画しました。
この実証実験を行う対象として考えたのが、2022年10月に3年ぶりに開催した区最大のイベントである「板橋区民まつり」(以下「区民まつり」という。)の目玉企画の一つ「絵本のまちひろば企画展」でした。
2 効果検証モデルの検討
係内でプロジェクトチーム(以下「PT」という。)を立ち上げ、データ利活用やマーケティングの入門書1)を参考に効果検証モデルを検討し、図-1のモデル2)にて効果測定の実証実験を行うことにしました。
1)株式会社マクロミル・渋谷智之著『データ利活用の教科書 データと20年向き合ってきたマクロミルならではの成功法則』(翔泳社、2022年。以下『データ利活用の教科書』という。)
2)『データ利活用の教科書』43頁を参考に筆者作成。
①仮説の構築:仮説とは事業における課題に対する仮の答えです。仮説の構築では、その事業の課題を設定します。課題設定の切り口としては、ターゲットと、提供価値の分析・検討です。事業のターゲットとなる年代やライフステージを絞り、対象人数を想定し、提供価値を数値化するための指標を検討します。
②データの収集:①で設定した仮説に対しての実測値を取得します。提供価値の指標として満足度を設定する場合は、アンケート等の一次データを取得することが一般的です。これに加えGPS人流データ等の二次データを取得することで相関分析を行うことが可能になります。
③データの分析:②で取得したデータを分析し、多角的な側面から仮説に対する検証を行います。検証結果をまとめて、事業主体への詳細レポートや、経営部門に対するエグゼクティブサマリを作成します。
④施策の改善:③で作成したレポートを基に事業主体や経営層に報告し、事業をより拡大するための新たな施策を立案し、再度効果検証を図るサイクルを回していきます。
3 実証実験の実施体制
板橋区では、ブランド戦略の一つとして「絵本のまち」を掲げています。3年ぶりに開催される区民まつりで絵本のまちを象徴する催し物が、体育館全体で絵本に関する様々な展示、ワークショップ等を開催する「絵本のまちひろば企画展」です。この事業は以下の体制で実施しました。
①事業主体:くらしと観光課(区民まつり)、広聴広報課(絵本のまちひろば)②DX企画:IT推進課、都市計画課 ③データ提供・技術支援:KDDI株式会社(GPS人流データ提供)、伊藤忠テクノソリューションズ株式会社(AIカメラ人流データ技術支援)
4 実証実験の概要
(1)仮説の構築
マーケティングでは、狙いを定めてデータの分析を行うことで高い改善効果を得ることができます。そのために行うのが事業における仮説の構築です。絵本のまちひろばの事業主体である広聴広報課と、絵本のまちブランドがターゲットとしているライフステージや、展示がどのようなタイプに分類できるかを議論しました。
絵本のまちブランドが想定しているメインターゲットは、小学校入学前の子育て中のライフステージにある家族の層でした。また、展示のタイプは、体験型展示、物品販売、活動紹介に分類されましたが、メインターゲットの子どもは動きまわる年代であるため、体験型の展示に関心が強いのではないかとの仮説を立てました。
(2)データの収集
仮説を検証するために以下のデータを取得しました。
①一次データ
一次データとは「今取り組んでいる課題のために、自ら新たに調査・収集したデータ」3)です。今回立てた仮説は、「小学校入学前の子育て世代」が多く参加し、「体験型のイベントに高い満足度を示す」でした。この仮説を数値で検証するために、イベント会場でアンケートを実施することにしました。データとして取得したい情報は、各展示イベントの満足度です。また、ターゲットを検証するための属性として、子どもの有無、子どものライフステージ(育児期(小学校入学前)、教育期(小・中・高校生)、独立期(社会人・大学生以上))の4通りに設定しました。
3)『データ利活用の教科書』52頁。
アンケートの精度はサンプルサイズによって変わります。一般的に分析単位で30が最低のサンプルサイズといわれていますが、今回の実証実験では、サンプルサイズを50(最大誤差は14.1Pt)とし、50×4通りの合計200枚のアンケート回収を目標にしました。
②二次データ
二次データとは、「別の目的のために調査・収集され、既に存在しているデータ」3)です。アンケートの回収だけでは、イベントに参加した想定人数や、年代ごとの割合を検証することはできません。イベントの参加人数を取得するためには、GPS人流データを利用することが一般的ですが、GPS人流データはスマートフォンを所有している年代のデータであるため、子どもの人数は数値化されません。今回の実証実験は子育て世代がターゲットであり子どもの人数を把握する必要があるため、AIカメラシステムを活用することにしました。AIカメラシステムは、被写体の身長や顔から様々な情報を判定することができるツールです。今回の実証実験では、イベント会場の入口に向けてAIカメラを設置し、入場者の年代(CHILD(~10代前半)、YOUTH(10代後半~20代前半)、ADULT(20代後半~30代前半)、MIDDLE(30代後半~50代前半)、ELDER(50代後半〜))と性別を判定し、数値化しました。
3)『データ利活用の教科書』52頁。
(3)データの分析
アンケート結果とGPS、AIカメラで取得したデータから入場者の分析を行いました(図-2)。
①ライフステージ分析(AIカメラ):全体の人数は延べ約16,000人でした。年代別の内訳はCHILD:19%、YOUTH:10%、ADULT:28%、MIDDLE:32%、ELDER:11%でした。板橋区の人口構成率では14歳以下が約10%であることから、子どもの参加率が高く、ターゲットにしたライフステージの区民が多く参加していたことがわかりました。
②居住地分析(GPS):近隣(半径3km)からの来訪者が65%を占めており、イベント会場近隣からの参加者が多数を占めていることがわかりました。
③満足度分析(アンケート):全体的な傾向として、体験型のイベントの満足度が高い結果となりました。ライフステージごとの傾向としては、育児期では、読み物展示や、ICT機器を活用したイベントは、体を動かすイベントと比べて満足度が低い傾向にありました。
④その他(アンケート):絵本のまちの認知度では「知っている」と答えたのは40%に留まり、メインターゲットとして設定した育児期については37%とさらに低い傾向にありました。絵本のまちに期待する取り組みとしては、育児期では「体験型ワークショップ(絵本づくり等)」と「区内の様々な場所で絵本が読める場所のさらなる増加」が合計45%になり、体験型のイベントが広域で実施されることが期待されていました。
また、このイベントを知ったきっかけは「来場時に知った」が36%と最も高く、「SNS」が10.5%にとどまっていました。ターゲットとしている子育て世代がSNSを多く活用していることを考えると、SNSでの情報発信力が不足していることがわかりました。
(4)施策の改善
これらの分析を踏まえて、事業主体である広聴広報課にはデータ分析の詳細レポートを、経営部門に対しては今回の仮説検証結果をエグゼクティブサマリにまとめて報告しました。
ターゲットとしたライフステージ層の入場数が多く、仮説どおり体験型のイベントを望む傾向が高いという検証結果が得られた一方で、育児期のライフステージでは体を使った単純なイベントの評価が高いことや、来訪者の居住地は近隣が多数を占めていることが数値で示されました。これらの傾向を、今後に実施する関連のイベントの実施場所や内容の検討材料として活用することができました。
情報発信の課題については、ターゲットのライフステージにあった周知方法を行う必要があることから、2023年度から導入する板橋区公式LINEを活用することの重要性を数値的な根拠をもって示し、新たな施策へとつなげることができました。
5 取り組み後の課題
今回の取り組みで一番感じた課題は、一次データの精度向上です。一次データは仮説検証を行うためのベースとなるデータですが、多くの場合はアンケートで測定することになります。アンケート成功のコツは、「良い仮説」と「良い設問」にあると考えています。
「良い仮説」に求められる要素は、「ターゲット・提供価値が分析されていること」を前提として、「①これまでの経験分析から、ある程度確からしいこと」「②内容が具体的で、深く掘り下げられていること」「③具体的なアクション、解決策に結びつけやすいこと」が挙げられます4)。この「良い仮説」を検証するデータを適切に収集できる設問が「良い設問」です。今回の実証実験では、「子育て世代」をターゲットに、絵本に関連するイベントとして、「体験型のイベントは満足度が高い」という仮説を構築し、イベントごとに「ライフステージ」「満足度」の比較ができるようアンケートを作成しました。今回は、単発のイベントにおける仮説検証に留まったことは今後の課題と認識しています。「絵本のまち」のように、板橋区のブランドイメージを向上させる長期的な施策においては、長期的な視点で顧客がどのような行動様式をとるか(カスタマージャーニー)を見据えた仮説検証を行えると、次のアクションや解決策につなげやすくなると考えます。
4)『データ利活用の教科書』128頁。
また、アンケートにおける属性や設問の設計についても精度面での課題が残りました。今回はPTを中心に勉強しながらのアンケート設計になりましたが、今後は統計学などの知見を深め、精度の高いアンケートを設計するスキルを育成していく予定です。このように「良い仮説」「良い設問」を構築するノウハウやスキルを職員が高めていくために、PTで勉強会を継続的に実施し、CIO補佐アドバイザリー業務を委託しているデロイト トーマツコンサルティング合同会社からも助言を受けていく予定です。
さらに、アンケートの回収率を向上させる工夫も必要だと感じています。今回は対面でアンケートを回収する手法を採りましたが、対面での回収率を上げるためにご協力のお礼としてノベルティを配布しました。その他、回収数を向上させるため手法として多チャンネルでのアンケートの実施が有効であると考えており、LINEのアンケートなど、SNSを活用したアンケートの実施を検討しています。
6 今後のビジョン
今回の実証実験で仮説検証を中心としたEBPMの事例ができましたが、区全体にEBPMを広げていくためには、データ利活用基盤の構築と人材育成がキーになると考えています。
データ分析を多角的に行うためには多くのデータが必要となりますが、現在板橋区で活用可能な二次データはGPS人流データのみです。EBPMが費用対効果検証の側面を持つことを考えると、財務データは欠かせない情報になりますが、現時点では利活用可能な状態にはありません。板橋区の財務システムにはデータを分析する機能はないため、データ分析に活用するためには、別途BIツール5)の利用が必要になります。そのため、2023年度にBIツールを試験的に導入し、財務システムのデータ分析に活用できないか検証する予定です。将来的には、データ利活用基盤を本格導入し、データ分析の対象業務を拡大し、EBPMに活用していく構想を練っています。
5)BIツール(Business Intelligence Tool)とは、ビジネスの意思決定に関わる様々な数値を分析するためのツールのこと。
この構想には計画的な人材育成が必要です。この構想の中心となるのは、データ利活用基盤に精通し、データ分析を行うデータアナリストです。データアナリストは事業の所管課をデータ利活用の側面から支える役割を担います。現在策定している「板橋区ICT推進・活用計画2025」の後期計画では、データ利活用基盤の構築と合わせて、データアナリストを育成する計画を盛り込む予定です。
データ利活用は地方公共団体においても高い効果を発揮することが期待されている一方で、その専門性の高さから人材の確保が急務であるといわれています。板橋区では、民間企業と比べ独特な業務を持つ地方公共団体においては、内部人材の育成がデータ利活用のポイントになると捉えており、今回のような実証実験を通じた人材育成はその有効な手段であると考えています。
このような取り組みを人材育成計画の体系に位置付けることで、人材育成の品質向上を図るとともに、データ利活用の対象業務を拡大していきたいと考えています。
Profile
安藤正博 あんどう・まさひろ
コンピューター関連サービス企業にて、Javaプログラミング、Webアプリケーションサーバー管理、SOA等の研修事業に7年間従事。2010年事務職として板橋区に入区。IT推進課、契約管財課、教育総務課を経て、2022年より現職。