自治体の防災マネジメント
自治体の防災マネジメント[75]要配慮者支援と『正義論』
地方自治
2023.02.08
本記事は、月刊『ガバナンス』2022年6月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。
要配慮者への防災対策と他施策との優先度
災害が発生すると、毎年のように、高齢者、障がい者等が逃げ遅れたり、困難な避難生活を送ったりすることが繰り返される。これを防ぐためには、付け焼刃的な対策ではなく、しっかりした理念に基づいた法制度が必要と考えるようになった。
たとえば、2階建の家に住む一人暮らしの認知症高齢者が、3m以上の洪水浸水リスクがあったり、土砂災害特別警戒区域に住んでいる場合、大雨が降ると、明らかに命に関わるリスクがある。
しかし、自治体の限られた人員、財源の配分を考えた時、災害はめったに発生しないことを理由に、自治体によっては個別避難計画を作ったり福祉避難所を整備するよりも、高齢者への敬老祝い品やバスハイキング事業への補助金を充実することがあるかもしれない。
いうまでもなく後者の方が多くの高齢者に便益が行き渡る。しかし、私は前者を優先すべきと考える。明らかに命の危険がある人(少数かもしれないが)への適切な対策をとらずに、多くの人への恩恵的支援をするのは、正義ではないからだ。
『正義論』と防災
正義という古めかしい用語はアメリカの政治哲学者ジョン・ロールズが1971年に出版した『正義論』により、一躍、注目を集めることになった。その構想の内容は、以下の「正義の二原理」として定式化される。
第一原理:各人は、平等な基本的自由からなる十分に適切な枠組みへの同一の犯すことのできない請求をもっており、しかも、その枠組みは、諸自由からなる全員にとって同一の体系と両立するものである。
第二原理:社会的・経済的不平等は、次の二つの条件を満たさなければならない。第一に、社会的・経済的不平等は、公正な機会の平等という条件のもとで全員に開かれた職務と地位にともなうものであるということ。第二に、社会的・経済的不平等は、社会のなかでもっとも不利な立場におかれる成員にとっての最大の利益になるということ。(出典:齋藤純一・田中将人『ジョン・ロールズ』2021年12月、中公新書)
第一原理は「平等な自由の原理」、第二原理の前段が「公正な機会平等の原理」、後段が「格差原理」とよばれる。
これを防災にあてはめて解釈すると、第一原理で、すべての人が自らの命と尊厳を守るように求めることができ、第二原理の前段で、その機会は公正で平等でなければならないとなる。第二原理の後段で、社会のなかでもっとも不利な立場におかれる人(高齢者、障がい者・難病患者、乳幼児、外国人等の要配慮者)にとっての最大の利益になっていなければならない。
「災害は弱い者いじめ」という社会は、明らかにこの第二原理後段の格差原理に反していて、正義ではない。よって、格差原理は制度を改善することを求める。
これが、2021年度の災害対策基本法改正による市区町村への個別避難計画策の努力義務化であり、内閣府の福祉避難所設置・運営ガイドラインの改定であり、福祉事業者へのBCP義務付けであり、社会福祉施設等の立地規制の本質的意義と考えている。
なお、ここで気を付けたいのは、要配慮者がかわいそうだから、弱いから保護するという恩恵的なものではなく、平等で尊厳をもつ人として尊重されるがゆえに人々の支え合いや、制度化が不可欠だということだ。
災害救助法
現行の災害救助法は、戦後間もなくの1947年に成立したこともあって、生存権の保障を謳うが実質的に無差別支援、申請主義、自力救済の色合いが強く残る。もちろん、当時の状況、すなわち行政の資源が乏しく、ハザードマップのような科学的知見も少ない状況では、理想的な政策を構想することは難しい。
しかし、災害時のように社会資源が乏しい時に無差別支援を行うと、支援制度にアクセスしやすい強者優先になる。たとえば、元気な人が避難所へ早く行って良い場所を占有する、弁当の配布では早く並んですぐに受け取る、多くの支援物資から先に自分の好きなものを選べる等々。罹災証明の受付や関連死の申請などで申請主義をとることは行政の負担を減らすが、一方で能力的にも物理的にも申請が困難な人を取り残すことになる。自力救済を原則とすると、災害という偶然の不運を被った人の間で資力、能力により復興時に大きな格差を生む。
どうすれば正義は実現できるのか
格差原理の要求を満たすためには、個々の要配慮者が災害時に偶然の不運をできるだけ被らないように、制度を構築しなければならない。その方策は、「事前の取組み」「十分な社会資源の調達」「迅速な個別支援」と、大きく三つになるだろう。これらはそれぞれ「安全な避難」「一定水準の避難生活」「効果的な復興」に資する。
「事前の取組み」は、事後では救済されない人命や尊厳の確保に不可欠である。個別避難計画作成を契機に、要配慮者と支援者、地域住民が相談や話し合いによって避難のタイミング、避難先、避難方法、持参物資などを事前に計画化、訓練、検証・見直しを重ねる。これにより、要配慮者だけでなく支援者も早期に安全に避難でき、両者の命も守ることにつながる。同時に、災害時だけでなく平時の良好な人間関係につながっていく。
「十分な社会資源の調達」とは、要配慮者の逃げ先としての福祉避難所や備蓄等の十分な確保があげられる。また、(福祉)避難所等を支える専門的なスタッフの確保が必要になる。要配慮者が安心して避難生活ができる福祉避難所等の場の確保、避難生活への医療や福祉支援、防犯対策、電気やトイレ、寝具、食事などQOLの低下を防ぐ環境整備を行う。これらをタイミングよく、適切な質と量を確保するには、被災した当該市区町村の職員だけでなく、応援自治体職員、民間事業者等との連携、専門ボランティアの確保などが求められる。
「迅速な個別支援」は、要配慮者の避難生活でも重要であるが、中長期的な復興を進める上で欠かせない。専門家による要配慮者個々人へのアセスメント、支援関係者間の連携による支援方策の検討と実施、モニタリングによる効果検証と見直しを継続的に実施する。避難所にいる要配慮者だけでなく、在宅等の避難所外避難者についても周知やアウトリーチにより取り残しを防いでいく。
このように要配慮者支援は、恩恵的な制度ではなく、社会正義を実現する重要政策であることを肝に銘じたい。
* 福祉避難所開設・運営マニュアルの提供
前2号で紹介した、(一財)日本防火・危機管理促進協会の調査によると、福祉避難所ごとに個別の開設・運営マニュアルを作成している市区町村は15.5%、マニュアルに従って訓練をしているのが15%であった。
8割以上の自治体では福祉避難所に個別のマニュアルがなく、訓練もしていないという結果を見て、私たち(一社)福祉防災コミュニティ協会は、これまでのべ15県で研修を行った福祉避難所の開設・運営マニュアルをホームページで無償提供することにした。
このマニュアルは、ガイドラインと違って、そのまま、すぐに実務に役立つように書いている。
市区町村や福祉避難所、関係団体は、ぜひこのマニュアルを参考に、要配慮の避難者受け入れ態勢を整えていただきたい。私たちが、福祉避難所の開設、運営に貢献できるならば、この上なく誇りに思う。
〇 福祉避難所開設・運営マニュアル https://fukushi-bousai.jp/manual.html
Profile
跡見学園女子大学教授
鍵屋 一(かぎや・はじめ)
1956年秋田県男鹿市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、東京・板橋区役所入区。法政大学大学院政治学専攻修士課程修了、京都大学博士(情報学)。防災課長、板橋福祉事務所長、福祉部長、危機管理担当部長、議会事務局長などを歴任し、2015年4月から現職。災害時要援護者の避難支援に関する検討会委員、(一社)福祉防災コミュニティ協会代表理事、(一社)防災教育普及協会理事なども務める。著書に『図解よくわかる自治体の地域防災・危機管理のしくみ』(学陽書房、19年6月改訂)など。