
新・地方自治のミライ
自治体の葬式のミライ|新・地方自治のミライ 第115回
NEW地方自治
2026.09.07
出典書籍:『月刊ガバナンス』2022年10月号
「新・地方自治のミライ」は「月刊 ガバナンス」で過去に掲載された連載です。
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本記事は、月刊『ガバナンス』2022年10月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。
はじめに
安倍晋三元首相が、本年7月8日、参議院選挙の遊説中に狙撃されて、死亡した。現職首相ではないとは言え、隠然とした権力を持っていた政治家の暗殺という事件である。初代首相でもあった伊藤博文は、朝鮮総督辞任後の1909年10月26日にハルピン駅で暗殺され、11月4日に日比谷公園で「国葬」が行われた。岸田文雄首相は、安倍元首相の9月27日の国葬を決定した。今回は、為政者の葬式について、自治体の観点から検討してみたい。
冠婚葬祭と為政者
「まつりごと」の代表は冠婚葬祭である。政治家は、葬式に参列して弔辞を述べ、また、葬式を主催者などとして仕切る。このような活動は「政務」または「政治活動」であり、国だけでなく自治体の為政者も、日夜勤しんでいる。
もっとも、全体の奉仕者の地位と権限を使うべきかどうかには、疑義もあろう。もちろん、私的な葬式においても、同一人物が為政者の地位にある場合には、公権力と完全に切り離されるものではない。例えば、行政職員はかつて上司であった元首長の葬式に出ることもあろう。かつての役所での関係がなければ葬式に出る義理もない。しかし、行政職員の職務(公務)として葬式に出るものではない。これが、現職首長の死去に伴う葬式であっても同様である。とはいえ、私的葬儀であっても、やはり、公務との関係は発生している。
このように線引きは難しい。しかし、私人の立場ならばともかく、住民全体の奉仕者として職務すべき為政者が、特定の故人の葬式に、公務として出席し、または、公式に主催することは、それなりの節制を伴わなければ、適切ではない。
沖縄県知事の「県民葬」
実際には、自治体為政者に関して、自治体が深く関わって葬式が主催されることはある。例えば、沖縄県では、2017年6月に大田昌秀元県知事が死去した際には、7月に「県民葬」が実施された(注1)。県民葬の主催者は、「県民葬実行委員会」であるが、内実は、沖縄県、沖縄県議会、沖縄県市長会、沖縄県町村会、沖縄県市議会議長会、沖縄県町村議会議長会、那覇市、久米島町、沖縄県経済団体会議であり、経済団体を除けば為政者が中心である。
(注1) 沖縄県庁ウェッブサイト。
また、2018年8月に翁長雄志県知事が在職のまま亡くなったときにも、10月に県民葬が行われている(注2)。近年の沖縄県政では、辺野古基地問題などを中心に「オール沖縄」と「チーム沖縄」=国政(第2次安倍政権以降)連合の対立とが厳しいが、ともかくも、県民全体の奉仕者である自治体が、党派対立を超えて、深く関わる葬式が行われた。また、政治的には対立してきた菅義偉官房長官(当時)も、参列して追悼の辞を述べている(注3)。なお、安倍首相(当時)は参列しなかった。
(注2) 沖縄県庁ウェッブサイト。故翁長雄志元沖縄県知事県民葬実行委員会広報記録班『沖縄の心を一つに 県民の誇りと民意を守り抜いて 翁長雄志を偲ぶ県民葬の記録』故翁長雄志元沖縄県知事県民葬実行委員会。
(注3) 琉球新報デジタル版2018年10月10日 09:50配信。
「県民葬」は、権力を執った対立する為政者間での接触の場としても政治利用されているのかもしれない。とはいえ、沖縄県知事の県民葬は1997年の屋良朝苗初代知事、2001年の西銘順治元知事でも行われ、先例踏襲でもある(注4)。単に、儀礼として知事経験者は県民葬するという基準かもしれない。しかし、例外もあり(注5)、選別基準も問題となりうる。
(注4) 沖縄タイムスデジタル版2017年7月26日15:26配信。
(注5) 存命である稲嶺恵一・仲井眞弘多を除けば、平良幸市である。
東京都知事の葬式
東京都知事経験者の死去に際して、東京都が葬儀に何らかの形では関わっているが、「都民葬」という形ではなかった。1983年逝去の東龍太郎は、都・日本赤十字社・日本体育協会の合同葬である。1984年逝去の美濃部亮吉の場合には、判然としない。2006年逝去の青島幸男の場合、芸能人が多数参列した普通の葬儀・告別式ではあるが、石原慎太郎都知事(当時)も弔辞を「代読」させ、都職員が「ボランティア」で手伝いしている(注6)。
(注6) 四国新聞社デジタル版2006年12月27日12:19配信。産経新聞ENAK配信時不詳。
しかし、石原都知事は、2010年に鈴木俊一が逝去したときに「都葬」を行った(注7)。石原元都知事が2022年に逝去したときは、小池百合子都知事は「ご遺族の方々のご意向を最大限に尊重し、都としてできるかぎりのことをやっていきたい」(注8)と述べた。結局、2月5日に家族葬(注9)、6月9日に「お別れの会」が開催されたが(注10)、「都葬」「都民葬」は行われていない。「お別れの会」には、森喜朗元首相・菅義偉前首相も参列し、発起人代表で安倍元首相が挨拶し、岸田首相が参列者を代表して弔辞を述べている。国政政権党という為政者の縁での開催である。小池都知事も参列はしたが、東京都の色彩はない。結果的に、鈴木「都葬」が異例の政治利用であり、小池都知事のもとで石原「都葬」「都民葬」を否定する「逆政治利用」によって、先例に回帰したとも言える。
(注7) 日本経済新聞デジタル版2010年5月28日12:40配信。
(注8) 日本経済新聞デジタル版2022年2月5日1:49配信。
(注9) FNNプライムオンライン2022年2月5日15:27配信。
(注10) 時事ドットコム2022年6月9日11:10配信。
長崎市長射殺と市民葬
以上の事例の多くは、暗殺ではなく「通常」死である。これに対して、2007年4月17日に、伊藤一長長崎市長が、統一地方選挙の自身の選挙期間中に、狙撃されて死去した。告示後であったため、補充立候補が受け付けられ、同18日には伊藤市長の女婿が立候補した。翌19日の立候補が締め切られる約1時間前に、市職員だった田上富久が立候補した。「市政はひとりのものでもなければ、家族のものでもありません」と対決姿勢を示した。「弔い合戦」を打ち出した女婿に対して、世襲批判の民意は、田上を僅差で当選させた。
田上市長が葬儀委員長を務めて、同年5月28日に「市民葬」が行われた(注11)。田上市長は式辞で「民主主義への冒瀆とも言える卑劣極まりない暴力」と事件を非難した。また、伊藤前市長の遺族も出席し、妻十四子(とよこ)さんの「平和を伝えるべき町で、銃の非道を許した社会とは何なのでしょうか。夫の志はみなさんの心の中に刻まれると信じています」という言葉を、司会者が代理で読み上げた。女婿の対立候補=田上が、新市長として市民葬を仕切ることで、市民葬の政治性・党派性と私物性が抑えられたといえよう。
(注11) 朝日新聞デジタル版2007年5月29日1:31配信。
おわりに
一時は権勢を極めた為政者であっても、「通常」死の場合、為政者としての地位から退いて時間も経っていることも多く、本人も引退・老衰しており、政治的影響力も減衰していることも多い。葬儀を仕切ることが権力には結びつかず、比較的に儀礼の範囲内ともいえよう(注12)。安倍元首相の件は、「非常」死である暗殺で、また、本人が政治的影響力を持つなかでの葬式なので、それだけ権勢と事件(注13)とが絡まった為政者による政治利用の色彩が生じてしまい、反発も反発への反発も強くなった。
(注12) 翁長と伊藤の事例は政治利用の色彩を帯びやすいといえる。
(注13) 民主主義・選挙に対する挑戦とするか、宗教を騙った生活破壊被害と為政者による放置への怒りとするか、などの解釈が浮遊している。
冠婚葬祭は「まつりごと」としての政治性を帯び得るものであり、それゆえ、党派性や私利私欲やコネなどに歪んだ政治利用は回避しなければならない。為政者である以上、生前の実績には毀誉褒貶があって当然である。業績評価と切り離して中立的に故人を悼み偲ぶ限りで、自治体の葬式は成り立つ。その意味では、超党派性的なコンセンサスが重要であるし、また、故人の権力が「枯れ」る時間的経過や、権勢を中和する節度や段取りも必要であろう。それが達成できない場合には、結果的にではあれ、故人の死を政治利用することになってしまう(注14)。
(注14) 10月15日に安倍元首相の「山口県民葬」が、県・県議会・県市長会・自民党県連などでつくる「故安倍晋三先生県民葬儀委員会」と安倍家との主催により行われる。
そして、国が国政為政者に対して行う葬式も同様である。そのような葬式に自治体首長が公務・公費で出張・出席することは、政治利用に加担しないための自制が必要であろう。しかし、国葬は自治体に対して「忠誠」を問う踏み絵として政治利用され得る。忖度と追従と扶翼に慣れた自治体は参列する。こうしてミイラ化した自治体の葬式にもなる。
著者プロフィール
東京大学大学院法学政治学研究科/法学部・公共政策大学院教授
金井 利之 かない・としゆき
1967年群馬県生まれ。東京大学法学部卒業。東京都立大学助教授、東京大学助教授などを経て、2006年から同教授。94年から2年間オランダ国立ライデン大学社会科学部客員研究員。
主な著書に『自治制度』(東京大学出版会、07年)、『分権改革の動態』(東京大学出版会、08年、共編著)、『実践自治体行政学』(第一法規、10年)、『原発と自治体』(岩波書店、12年)、『政策変容と制度設計』(ミネルヴァ、12年、共編著)、『地方創生の正体──なぜ地域政策は失敗するのか』(ちくま新書、15年、共著)、『原発被災地の復興シナリオ・プランニング』(公人の友社、16年、編著)、『行政学講義』(ちくま新書、18年)、『縮減社会の合意形成』(第一法規、18年、編著)、『自治体議会の取扱説明書』(第一法規、19年)、『行政学概説』(放送大学教育振興会、20年)、『ホーンブック地方自治〔新版〕』(北樹出版、20年、共著)、『コロナ対策禍の国と自治体』(ちくま新書、21年)、『原発事故被災自治体の再生と苦悩』(第一法規、21年、共編著)、『行政学講説』(放送大学教育振興会、24年)、『自治体と総合性』(公人の友社、24年、編著)。
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