『23分間の奇跡』―見方次第で世の中は変わる

キャリア

2019.04.19

第6回 新年度予算案提出 見方次第で世の中は変わる

『地方財務』2019年2月号

今月の本『23分間の奇跡』ジェームズ・クラベル著

 「まな板の鯉」という言葉があります。

 まな板に乗せられた鯉は、もはや自分ではどうすることもできず、されるがままを待っているだけであることから、相手の判断にゆだねるしかない状況を示すときに使います。

 財政課にとっては、予算案を提出し、それを議会で議決していただくまでは、まさに「まな板の鯉」の心境でしょう。

 今の時代、どの自治体も大きな困難を抱えながら予算編成に臨んでいます。予算案ができあがるまでには、いろいろな折衝や駆け引き、苦悩や妥協があったことと思います。眠れぬ夜もあったかもしれません。しかし、活字として印刷された予算書を眺めているだけでは、そこまでは伝わりません。

 あくまで数字は数字です。その裏にある苦労ではなく、示された数字の良し悪しだけで評価されます。

 さらに、すべてのものごとは、見方や考え方によって、いかようにでも姿を変えてしまいます。同じものを見ていても、人によって全く違った解釈をするということがあり得ます。だからこそどう伝えるかが大切なのですが、一方で、どんなに頑張ってもどうとでもとらえられてしまうということも理解しておく必要があると思います。

 今回ご紹介する本は、ジェームズ・クラベルさん著、青島幸男さん訳の『23分間の奇跡』です。

 原題は邦題とは大きく異なり、『The Children's Story』といいます。ただし、本の内容は子供向けというより完全に大人向けであり、読む人によっていろいろな解釈ができ、様々な思いを持つこととなる作品です。

 邦題のとおり、物語は午前9時に始まり、9時23分に終わる23分間を描いています。どこの国であるとも、いつの時代であるとも書かれていないどころか、この物語の前に何が起こったのかもはっきりとは書かれていません。そこは、読み手が想像するしかありません。

 わずか23分間の出来事なので、とても短い話です。しかも読み始めるとぐいぐい引き込まれますので、あっという間に読み終わってしまいます。しかし、余韻はずっと残ります。

 著者のジェームズ・クラベルさんは、イギリス出身の作家、脚本家、映画監督です。第二次世界大戦中に日本軍の戦争捕虜となった経験を持つほか、戦国時代の日本を舞台にした『将軍(Shōgun)』という本を執筆するなど、日本とも深い関係があります。本作にも日本とのかかわりが影響を与えているのかもしれません。

 物語の舞台は、学校の教室です。学年は、日本で言えば、小学校の低学年くらいでしょうか。戦争で負けたからなのか、革命が起きたからなのか、理由は示されていませんが、体制が大きく変わったようです。そのため、新しい先生がやってきます。

 物語が始まる午前9時の段階では、子供たちの心は、自分たちの世界が変わってしまうことへの恐れと疑いに支配されています。しかし、新しい先生の巧みな誘導によって、徐々に心が動かされていきます。それまで大人たちから聞いてきたことと、新しい先生の言うことはずいぶんと違うようです。新しい先生は魅力的で、自分たちの言うことも聞いてくれます。

      *

 さて、財政課は、財政状況を悲観的に見がちだと思います。将来予測についても、これからよくなる見込みはない、などと考えがちです。現在の日本では、世の中の空気感もおおむねそんな感じですから、その見込みは住民にも職員にも受け入れられやすくはあるでしょう。

 しかし、本当にそうでしょうか。

 人口が減るのは確かだとして、財政状況はずっと悪くなるばかりでしょうか。これから先、ずっと厳しくなるばかりでしょうか。

 ひょっとして、見る角度を変えたら、全く違った姿が現れるかもしれません。現に財務省は、財政調整基金が積み上がっていることを理由に、国と比べて地方の財政には余裕があると主張し続けています。

 それぞれの自治体において、財布を握っている財政課は、組織においてある種の「権威」だと思います。財政課が言うことは、反発を受けることもあるでしょうが、おおむね「まあ、そうなのだろう」と受け入れられるでしょう。

そのことが、思考停止を生んでいないでしょうか。

これからは縮んでいくばかりなんだから、新しい事業なんかしない方がいい、高齢化で支出は増えるが収入は減るという時代なんだから守ることだけを考えるしかない、などと誘導していないでしょうか。

 そのつもりはなくても、知らず知らずそうしてしまっているかもしれません。そう思ってもらった方が、財政運営上は楽かもしれませんが、自治体の将来にとってはどうでしょうか。

      *

 『23分間の奇跡』は、「物事にはいろいろな見方ができますよ」といった、のどかな意見を伝える本ではありません。もっと怖い話です。人の心は動きやすい、人の心は容易に操縦される、訓練された人間にかかれば、それまでに信じていたことを変えさせるのに長い時間はかからない、といったことを、物語の形を借りて訴えてきます。

 この作品を原作として、フジテレビ系の『世にも奇妙な物語』でドラマ化されていますが、ひたひた迫る不気味さがよく表現されていました。

 きちんと自分の頭で考える癖をつけておかないと簡単にひっくり返されてしまいます。一面からしか物事を見ていないと、別の面から光を当てられたときに対処ができません。

 予算案を提出した財政課は、「まな板の鯉」として予算議会での審議を待つしかありません。しかし、ただ待っているだけではなく、ありとあらゆる方向からその自治体の未来を見るようにしておきたいものです。そして思わぬ見方をされた場合にも、柔軟に対応したいところです。

 もちろん、財政課だけでなく、自治体で働く職員一人ひとりが、自分の意見をしっかり持つ必要があります。

 『23分間の奇跡』は、とにかくいろいろな読み方ができる本です。人によっては、心底怖くなるかもしれませんし、またある人にとっては、楽しく読めるかもしれません。

 なんにせよ、興味深い本であることは間違いありません。そして、短くてあっという間に読めます。

 冬の財政課は、本業が手いっぱいでなかなか読書にまで気が回らないでしょうか。しかし、気分転換のためにも、視野を広げるためにも、発想を膨らませるためにも、やはり本は読んでおきたいところです。

 『23分間の奇跡』は、読書習慣をつけるきっかけなってくれる本でもある気がします。

【今月の本】
『23分間の奇跡』ジェームズ・クラベル 著、青島幸男 訳
(集英社文庫、1988年、定価:476円+税)

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