知っておきたい危機管理術/木村 栄宏
生き残るビジネスモデル
キャリア
2019.04.05
知っておきたい危機管理術 第38回 生き残るビジネスモデル
ダーウィンの有名な言葉に、「生き残る種とは、最も強いものではなく、最も知的・賢いものでもなく、変化に最もよく適応したものである」というものがあります。企業も組織も個人も同様ですが、得てして従来の考え方にとらわれすぎて「危機」に気づかず、消滅してしまうことがあります。そこで今回は「ビジネスモデル」という視点から考えてみましょう。
多様なビジネスモデル
ビジネスモデル(英語ではビジネスメソッド)とは、一般に、儲かる仕組みとか、利益を産み出すための事業活動、その構造モデルを指します。身近な例でいえば、フリー(無料)ビジネスモデルがあります。
具体的には、民間放送のように、視聴は無料だがCM広告料で儲ける仕組み。あるいは、スカイプのように、基本サービスを無料にして一部の有料会員で儲ける仕組み。アドビシステムズのPDFのように、閲覧側は無料にして作成側へのソフト販売で儲ける仕組み。スマートフォンの無料ゲームのように、基本料は無料だがゲーム内で使用するアイテム等に課金させることで儲ける仕組みなど。
また、本体ではなく、その副製品で儲けるビジネスモデルもあります。例えば、プリンターであれば消耗品やトナー、牛丼屋などのファーストフード店であればサイドメニュー(味噌汁やサラダ、ポテト等々)の販売です。
一方、ネットビジネスで身近なモデルといえば、アフィリエイトです。個人のブログやメルマガ等のウェブサイト運営者が、ウェブサイトに企業サイトや広告のリンクを張り、閲覧者がそのリンクを経由して商品購入したり会員登録したりすると、運営者に企業や広告主等から報酬が支払われる仕組みです。
成功したビジネスモデル
振り返れば、阪急電鉄の小林一三は、始発駅等をターミナルビルにして商業集積し、人の流れと滞留をつくることで商圏を創造したり、産業商業中心地と反対方面の温泉地に宝塚劇場をつくり、日中の鉄道の輸送人員アップにつなげたり、あるいは地下に映画館をつくることで掘って出てきた土砂を宅地造成事業に活用するなど、多様なビジネスモデルを創造してきました。
文具用品のアスクルは、街の文房具屋と共存共栄する形で、たとえ少ない量でも翌日には商品を必ず届けるようにしました。少量注文では仕事の合間に買いに出づらかった中小企業のニーズを掴み、成功しました(コラボレーション・ビジネスモデル)。
ICTがビジネスモデル構築のベース
また最近では、優れた情報ネットワーク技術(ICT)や新技術を取り入れることがビジネスモデル構築のベースといえます。
宅配事業のヤマト運輸は、元々デパートなど大口配送中心の商売をしていました。しかし、需要は安定しても利幅が薄い。そこで家庭の小口配送向けにターゲットを大きく変更しました。当時、個人が小口配送してもらいたい場合は、鉄道(国鉄)の駅に行って依頼をしていました。ところが、いつ届くか日時が明確には分からない状況。そこで独自の「情報システム」を構築し、成功したのです。
1970年代では、航空券を客が買う場合、旅行代理店からが通常でした。アルファベット順に航空会社名が出てくるシステムが使われていたため、当時、米国ユナイテッド航空は苦戦しました(頭文字が「U」なのでアルファベット順では大変不利)。そこで、自社でソフトを開発し、ネットワークを構築。代理店に無料で提供し、そのネットワークを利用して航空券を購入するどの代理店からも、最初に自社名が出てくるようにすることで、収益を回復させたといいます。
変化する銀行業界
昨今、大きくビジネスモデルが変化しつつあるのが銀行業界です。貸出金利と預金金利の差の利鞘ビジネスモデルは過去のものとなりつつあるなか、AIやFintech等によるデジタル化に対応したモデルへの変換が遅れれば、いわゆる“Bank To Banking”(従来の銀行業務や金融サービスは、銀行ではなく新たなFintech企業に任せればよいという考え方)が生じ、淘汰されかねません。
30年前では、某米国銀行の日本支店のATMは既に24時間稼動でした。しかし、時折稼動停止が生じ、当時の日本では、「ネットワークが時々止まることを前提とした銀行は、銀行ではない」という強い意識があり、米銀が日本で個人客を大きく獲得することはできませんでした。しかし、今は技術も考え方も変わっています。
レコードの針のように、様々な分野で必ず生き残っていくものはあります。しかし、ビジネスモデルが大きく変化しつつあるときは企業も個人も「過去こうだったから何とかなる」と固執することなく、挑戦と発想の転換を行わなければなりません。その心構えこそが我々に必要な危機管理術といえます。