【回顧】調停終結から20年―戦後最大級の不法投棄事件 豊島事件を振り返り、今語るべきこととは? 公害等調整委員会 機関誌「ちょうせい」より
地方自治
2020.06.01
「戦後最大級の廃棄物不法投棄事件」と言われた豊島(てしま)事件の調停が終結してから、今年(令和2年)で20年に当たります。
総務省公害等調整委員会が発行する機関誌「ちょうせい」では、この節目を記念して、当時、本件の審査に当たった佐藤 雄也(さとう・かつや)中央大学研究開発機構客員教授、六車 明(ろくしゃ・あきら)慶應義塾大学名誉教授のお二人に話を伺い、当時の調停の様子について振り返っていただくインタビューが実施されました。
その後の公害関係法制や循環型社会の形成にも大きな影響を与えたこの事件は、調停の成立までにどのような過程を経たのか、どのような教訓を現代に残したのか。
特に地方公共団体の環境政策や公害紛争処理に携わる多くの職員の皆様に参考となるインタビューとなっています。
*本記事トップに掲載した写真は豊島(香川県小豆郡土庄町)とその町並み。
*本記事は総務省公害等調整委員会 機関誌「ちょうせい」通算第100号(令和2年2月) 特集 『平成の公害紛争事件を振り返る』より一部抜粋してご紹介いたします。また、写真図版の一部を香川県、機関誌「ちょうせい」より提供いただいております。
豊島事件とは
豊島は、瀬戸内海の小豆島の西に位置し、香川県小豆郡に属する島です。この島に昭和50年代後半から平成2年までの間に大量の産業廃棄物が不法投棄されたことから、平成5年に豊島の住民549人が香川県や事業者等を相手として、一切の産業廃棄物を撤去すること及び連帯して各申請人に金50万円を支払うことを求める調停申請を行ったものです。
2億3,600万円余の国費を投じた調査等の結果、廃棄物の量や分布、地下水への影響等の実態が把握され、産業廃棄物の不法投棄を行った事業者が事実上廃業している状況下で、香川県が本調停の相手方となり、6年以上にも及ぶ話合いの末に産業廃棄物及び汚染土壌を平成28年度末までに搬出すること、地下水等を浄化すること等が合意され、平成12年に調停が成立しました。
豊島及び直島の位置図(提供:香川県)
以下、両名によるインタビューの一部を抜粋してご紹介します。(なお、記事の読みやすさに配慮し、一部編集部で小見出し等を追加いたしました。)
県ではなく、公調委が担当したことの影響と効果
―豊島の事件に関しては、まず最初に香川県の公害審査会に調停の申請がなされ、県際事件であったことから、関係都道府県による連合審査会が置かれるということもあり得たわけですけれども、協議が整わず結果として公害等調整委員会が担当するということになったという流れになっております。これに関して、お二方は当時の印象として、どういうふうに見ていらっしゃいましたでしょうか。
六車 明氏(慶應義塾大学名誉教授)
六車:
この事件は要するに549 人の調停申請人がみんな島にいて、その島で起きた不法投棄の事件なのです。弁護士さんたちも関西の人たちで、東京に来るということは大変な負担だったのです。申請人もごく一部の人しか来られないし、交通費や宿泊費もかかるため、お年寄りが夜行バスで来て夜行で帰るとか、そのため体調を崩されるとか大変な御苦労があったと思います。
また、弁護士さんたちも無報酬でやっておられて、最終的に、排出事業者から支払われた解決金の約3.8 億円のうちの約1億5,000 万円はその実費に充てると。三者協議会とか技術検討委員会は、委員の方がおられる高松とか京都とか大阪とか、そういうところでやって、そのたびごとに島民の方がそこに行く。まあ、とにかく大変な負担だと思いました。だから、本来的にはなぜ公調委でやらなくてはいけないのか、法律的な根拠というか、いろんな意見があると思いますけれど、私はずっと疑問でしたね。今思い出してみても、当時関係者の方々はやはり大変だっただろうなと改めて思います。
佐藤雄也氏(中央大学研究開発機構客員教授)
佐藤:
確かにそういう部分はありますよね。しかし、本件は県際事件なので、公調委が担当しないと受け手がいないことになってしまいます。もし県の審査会で調停を行ったとしたら、香川県は被申請人の立場でもあり、住民側は県当局の対応に憤っていたので、いくら審査会は知事部局から独立した機関だといっても、住民側から県当局に忖度していると思われはしないかなど、何かとやりにくかっただろうと思います。それに当時は、地元住民は県を全く信用していない状況でしたから、双方に信頼関係が醸成されないと調停も打切りになりかねません。やはり双方ともにやりにくかったのではないのかなという気もします。
六車:
なるほど。今のお話で思い出しましたけれど、私は昨年(平成30 年)の10 月から今年(令和元年)の7月まで国際協力銀行で環境ガイドライン担当審査役という仕事をしておりまして、国際協力銀行に雇われていましたけど、国際協力銀行の投融資担当部署とは完全に独立していました。話をしてもいけないしメールもしてはいけませんでした。私が審査役に選ばれるときは、厳重な選考委員会があって、オープンな形で選ばれていました。そういうふうに、融資している銀行自体が独立・中立的な立場の審査役を雇って機能しているということです。ですから、地元の人が地元の県の審査会に対して疑問があるというのは、行政への信頼という観点から問題があったと思います。
「豊島事件」の検証を通して「市民に信頼されるヒント」を探る
―豊島の事件は、結果として公調委がその調停を最後まで引っ張っていくということになったわけですけれども、その中で、他の省庁に働きかけるだとか、多額の調査費を計上するというところは、県が単独で行うのは難しかったというところもあるのかもしれなくて、様々な考え方があると思いますが、公調委で担当したことにもそれなりの意味はあったとも思います。
六車:
全くそのとおりなのです。そのこと自体は全くそのとおりなのですけど、国だからできたというのは、本当に国だからなのか。県でも公平でみんなが信頼できるようなシステムというのがあり得たのではないかと思うのです。確かに公調委は独立行政委員会ということでいろんな権限があります。しかし、本来は、特に地方分権を考えれば、地方のことは地方でやるのが当たり前の話で、当時はできなかったかもしれないけれど、現在であればどうなのかなど、そういうことを議論することが、これから公調委や県の審査会が、十年、二十年というふうに、市民から信頼されるヒントになるかと思います。そういったことを改めて検証することは、この豊島の事件を過去のことではなくて将来のこととして考える1つの機会ではないかと。……
豊島廃棄物等の輸送(提供:香川県)
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その他、話題は豊島住民と香川県の間で成立した「中間合意」の意義や、「技術検討委員会」の役割から当時のマスコミとの関係にまで及び、いずれも闊達な意見が交わされています。公害紛争処理に関わる職員へのメッセージとして、「双方とも調停の土俵に乗れる方法を考える」ことの重要性が説かれるなど、現代の実務家にも参考になる内容となっています。ご興味のある方はぜひ全文をご覧ください。
記事の全文については、「公害等調整委員会」のホームページでお読みいただけます。
https://www.soumu.go.jp/kouchoi/substance/chosei/contents/100.html
【参考】
公害等調整委員会の機関誌「ちょうせい」には、この豊島事件のほかに、これまでの重要な公害紛争事件について、当時の委員や審査官による対談等が掲載されていますので、こちらもご一読をお薦めします。
・小田急線騒音被害等責任裁定申請事件
https://www.soumu.go.jp/kouchoi/substance/chosei/contents/97.html
・神栖市におけるヒ素による健康被害等責任裁定事件https://www.soumu.go.jp/kouchoi/substance/chosei/contents/99.html
・スパイクタイヤ粉じん被害等調停事件
https://www.soumu.go.jp/kouchoi/substance/chosei/contents/101.html