【新刊】地域を支える エッセンシャル・ワーク -保健所・病院・清掃・子育てなどの現場から-<特別寄稿 第1回>
ぎょうせいの本
2021.04.16
目次
新刊紹介
(株)ぎょうせいはこのたび、『地域を支える エッセンシャル・ワーク -保健所・病院・清掃・子育てなどの現場から-』を発刊します。コロナ禍で注目を集めるエッセンシャル・ワークの現場が抱える課題とともに、課題解決のための方策を示した1冊です。社会にとって必要不可欠なサービス提供に従事するエッセンシャル・ワーカーが直面する状況を紹介するとともに、今後公共サービスをどのように維持していくべきかを現場からのメッセージとして自治体政策の観点から提言しています。
ここでは本書第9章の執筆者である湯浅孝康氏のぎょうせいオンライン特別寄稿をご紹介します。
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普段の生活のなかでは意識していないことが、ある特定の場面でその重要性に気づく場合は少なくない。今回のコロナ禍におけるエッセンシャル・ワークはその一例である。コロナ対応という一点に社会の注目が集まったことで、エッセンシャル・ワーカーの苦悩が世間一般に広く知れ渡った。『地域を支えるエッセンシャル・ワーク』では、コロナ禍における行政関係のエッセンシャル・ワーカーの実態と苦悩の原因についてまとめている。ここでは、筆者が担当した給食、保育、学童の事例の一部を簡単に紹介する。
給食では2005年から2019年の15年で65%もの正規職員が削減されている。削減された職員は非正規労働者として自治体が直接雇用しているわけでなく、おもに民間委託で代替されてきた。とくに調理や食器洗浄といった業種では、2006年から2018年までに委託割合は2.5倍となり、急速な委託化が進んでいる。
委託化が進んだ背景には国からの働きかけがある。2005年、2006年と、総務省は自治体に職員数を減らす計画を作成するよう求めた。現場を抱える市区町村に対しては、平均で約9%の削減目標が課された。他方、地方公務員の約2/3は国が定員の基準を定めている。これらの職員について、国は削減計画の対象期間でも増員を求めた。つまり、自治体は残りの1/3で目標を達成する必要に迫られていた。対象の5年間で約23万人の職員が減少し、その後も職員の削減は続けられたが、こうした過度な職員の削減が緊急時における行政の対応不足を招いた一因だと指摘できる。
話を給食に戻すと、業務を切り出して外部に委託する潮流のなかで、給食調理員も調理業務に限定した仕事の割り振りがなされてきた。しかし、コロナ禍では仕事を限定することのデメリットが露呈した。近接業務への理解や経験が緊急事態には重要となるからである。近年注目されている食育には給食調理員が位置づけられていない。人員が限られるなかで、身近な「調理のプロ」との交流は、子どもへの教育効果も高いと考えられる。このような点でも業務のあり方は見直されるべきである。
保育では保育士の早期離職傾向が見られる。これだけ世間で待機児童問題が叫ばれ、保育の受け皿を増やしているにもかかわらずである。保育士が離職するのは民設保育所であるが、離職の理由としては待遇の悪さがあげられる。民設保育所では、いわゆる「利益」が保育士に還元されにくい。また、園庭がないなど、子どもを取り巻く物的環境の悪さも民設保育所では起こりやすい。こうした保育士の待遇や環境の悪さは保育の質に影響を与える。最も重視すべき子どもの視点が欠けているのである。
では、なぜ公設保育所を増やさないのか。民設保育所ばかりが増える背景にも国からの働きかけがある。いわゆる「三位一体の改革」で、公設保育所の運営や施設整備のための補助金が一般財源化した。対して民設保育所への補助金は継続されている。財政が苦しい自治体は多いため、自治体は民設保育所を増やそうとするのである。自治体の行政運営を誘導するようなこうした国のやり方に対して、問題提起がなされることは少なくない。
コロナ禍では保育所も多忙であった。そもそも、保育士は「子どもと遊んでいるだけ」と思われがちであるが、実際は想像以上に書き仕事が多い。しかし書き仕事のための時間は設けられておらず、業務を持ち帰ってこなす場合も少なくない。この状態にコロナ対応のための業務が加わったのである。子どもと近い距離をとらざるを得ない保育士には自らの感染リスクも高い。子どものためにも、保育士の労働環境の改善は必須である。
学童では指定管理者制度の不適切な運用が見られた。指定管理者制度の目的は、民間のノウハウを活用することでサービスの質向上を図る点にあったはずだが、自治体の運用の誤りからコスト問題に矮小化されてしまっている。コロナ対応の影響から多くの自治体では財政危機が急速に進んでいる。コスト削減がこれまで以上に要求され、現場は給与カットや解雇に踏み切らざるを得ない状況も危惧されている。
実は、学童では子どもの受け入れ基準も最近まであいまいであった。基準が定められたのは、「子ども・子育て新制度」が開始された2015年である。しかし、定められた基準はあくまでも「参酌すべき基準」であり、基準を満たしていなくても違法とはならない。専用区画については児童一人につきおおむね1.65㎡とされているが、感染症対策を鑑みれば不十分であるばかりか、この基準すら守れていない施設も少なくない。
そもそも、職業としての学童の担い手の認知度は低い。学童が開始された1940年代当時は、担い手は専業主婦のパートタイマーがほとんどであった。現代では学童の社会的ニーズは高まっているが、こうした歴史的経過もあって待遇は悪いままとなっている。子どもと密になる点では保育士と同様だが、学童の担い手は資格の面で保育士と大きく異なる。職員の地位や専門性の向上、そして何よりも子どもにとってよりよい環境を提供するためにも、学童でも労働環境の改善は急務である。
以上、簡単ではあるが、『地域を支えるエッセンシャル・ワーク』の一部を紹介した。現役公務員へのヒアリングに際して、筆者はご協力いただいた方々からの大きな熱意を強く感じた。公務員の行為については不祥事ばかりが報道されがちであるが、現場では少ない人員のなかで奮闘する公務員が大半である。実は筆者自身も元地方公務員で、区役所での勤務経験がある。想定外の問題に対して、長年の経験からうまく対応する現場の職員を実際に目にしてきた。筆者自身も当時はそうした事態によく直面したが、ベテラン職員に助けてもらった経験もある。
今年は東日本大震災から10年と節目の年であった。当時、東京電力福島第一原子力発電所の所長を務めていた吉田昌郎氏をはじめ、現場の職員の奮闘ぶりに改めてスポットが当たった。未曾有の危機に際し、文字どおり身を挺して職務をこなした職員の方々には本当に頭の下がる思いである。
日本は災害大国である。危機管理のあり方はこれまでから問われ続けてきたが、今回のコロナ禍で感染症対策でも不十分なことが明らかとなった。他方、われわれ住民は、これまで見えてこなかったエッセンシャル・ワーカーの努力に目が向き、現場の職員を応援すべきだという認識が広まった。このこと自体は喜ばしいが、かといってポストコロナの時代に、職員を劇的に増やすことは残念ながらできない。
地方自治に立脚すれば、少ない人員のなかで行政に何をしてもらうべきか、考える主体は住民自身である。「禍を転じて福と為す」ということわざがあるように、コロナ禍の教訓をいかに活かすか、われわれの学習能力・改善能力が問われている。この『地域を支えるエッセンシャル・ワーク』が、今後の行政のあり方を住民全体で考える契機となれば幸いである。