自治体の防災マネジメント

鍵屋 一

マンション防災は都市のバリュー│自治体の防災マネジメント 第110回 

地方自治

2025.12.10

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※写真はイメージであり、実際の土地とは関係ありません。
本記事は、月刊『ガバナンス』2025年5月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

マンション防災は都市のバリューである

 南海トラフ地震や首都直下地震の発生が危惧される中、もはや防災は「コスト」ではなく「バリュー」である。とりわけ都市型住宅の代表格であるマンション(賃貸住宅、公営住宅等の中高層住宅を含む)の防災はその中核だ。

 なぜならば、マンションにおける防災力の向上は、居住者の安全確保はもちろん、地域全体の災害対応力、そして都市の持続可能性をも左右するからだ。

 すなわち、マンション防災とは、都市における公共的機能を担う「社会インフラ」としての価値を有するものであり、都市のバリューそのものである。

在宅避難の可能性とその社会的意義

 実際、マンションは構造的に堅牢であることが多く、一定の備えがあれば被災後も住み続けられる可能性が高い。

 仮に大災害時、マンション居住者の大部分が1週間程度の在宅避難ができたとしよう。これは単に、居住者が安心できるということにはとどまらない。初動期の社会の混乱を軽減し、避難所等の過密状態を防ぐことにもつながる。これにより、高齢者や障がい者など避難生活が困難な人々へ医療、保健、福祉などの支援リソースを集中できる。

 また、マンションで安全に暮らすことができれば、居住者の多くを占める働き手がやがて社会に出て、BCP、復旧復興の担い手となる。

 すなわち、マンション居住者が在宅避難することは、災害時の全体最適を実現する社会貢献である。これを、もう少し具体的に見ていきたい。

初期対応力が都市の危機を救う

 マンション防災の特長の一つは初期対応力の高さにある。具体的には、けが人の救助と初期消火である。

 マンションが堅牢な建物であるがゆえに、けが人は少なくなる。無事な人が早期にけが人の確認、救助を行うことで人命を守っていける。

 また、地震直後には火災の発生確率が高い。電気が復旧する際には、通電火災の可能性も出てくる。居住者が平常時から消火器や、共用部のスプリンクラーや非常用放水設備の使用方法を訓練しておけば、マンションや近隣の火災を初期の段階で消火しやすくなる。

帰宅困難者の抑制と都市の回復力

 大都市では地震発生時に多数の帰宅困難者が出ることが想定されている。帰宅困難者の滞留は、交通機関のマヒ、道路の混乱、そして雑踏事故などを誘発するリスクをはらんでいる。しかし、マンション居住者が自宅にとどまることができれば、これらのリスクを大幅に減らすことができる。また、マンションの共用部を一時的に開放するなどの工夫により、近隣の帰宅困難者に対する応急対応の拠点となる可能性もある。

災害後の社会的コストを減らす「在宅の力」

 被災後、住民の多くが避難所生活を余儀なくされると、避難所の運営、水、食料、生活用品など物資の供給、トイレや廃棄物の処理など、行政の負担が急増する。

 実際に、熊本地震の震源地である益城町では、本震後の10日間は出勤した職員の約7割が避難所運営に従事せざるを得なかった。これでは、復旧復興が遅れることは目に見えている。

 マンションでの在宅避難は、これらの負担を著しく軽減できる。物資の供給も、避難所一括型ではなく、分散型として各家庭で備蓄ができれば、輸送や仕分けの負担が抑えられる。また、し尿や生活ごみの排出量が避難所集中型に比べて分散されることで、処理体制のひっ迫も軽減される。マンションでの在宅避難を前提とした防災は、都市においては「社会的コストの抑制」という観点からきわめて合理性が高い。

災害時のトイレ問題と備えのリアル

 在宅避難を考えるとき、最も深刻でありながら見過ごされがちな課題が、トイレである。

 人間が排尿を我慢できるのは、平均して4~6時間程度。つまり、発災から半日もしないうちに、トイレ問題は現実のものとなる。人は1日に平均5~7回排尿し、1~2回排便をするとされる。

 ところが、2023年、一般社団法人日本トイレ協会の災害用トイレ備蓄に関する1000人を対象にしたアンケート調査によれば、1回分でも備蓄をしている人は22.2%に過ぎない。20回分以上備蓄している人はわずか4.6%であった。同じ調査では水の備蓄が57.4%、非常食が43.4%であったのに比べ、圧倒的に少ない。

 私たちが、東日本大震災や熊本地震でのマンション調査をしたとき、多くのマンション居住者はトイレが使えないばかりに避難所へ向かったり、車中泊を余儀なくされている。

 トイレ不足になると、高齢者等は水分や食事を控えるようになる。このため、免疫機能低下により感染症にかかりやすくなる。また、口の中で細菌が増殖して誤嚥性肺炎になったり、運動不足によるエコノミークラス症候群にかかりやすい。

 これらは、乏しい医療資源をさらにひっ迫させる。そうした問題は、能登半島地震はじめ過去の災害でも多く見られてきた。

 マンション居住者が災害用トイレを備蓄することは、生活の質の維持だけでなく、感染症予防という公衆衛生の観点からも高く評価される。

復旧・復興を支える基盤としてのマンション防災

 災害後の復旧・復興には、時間も労力もかかる。

 医療、保健、福祉、道路、インフラ、行政、企業、あらゆる分野の人材が必要とされる。こうした人材が災害で被災し、生活再建に時間がかかれば、復旧・復興のスピードは著しく落ちる。マンションという生活基盤が維持され、そこに暮らす人々が在宅避難を通じて仕事や役割を早期に再開できることは、都市機能の回復に直結する。

 また、企業や行政、医療・福祉施設が立地する都市部で、マンション居住者が機能不全に陥ることは、そのまま都市の機能低下につながる。したがって、マンションに住む人々の「生活の継続性」を守ることは、企業や組織のBCPを支える土台でもある。

 さらに、仮設住宅や復興住宅の建設は、多大な財政的・人的リソースを要する。在宅避難が可能なマンションの存在は、こうした需要を軽減し、より支援が必要な人々にリソースを集中することを可能にする。

「自助」の集合が「共助」となり、「公助」を支える

 マンションは、「ミニ社会」である。自助を前提とした個々の家庭の備えが、共用部や管理組合を通じて「共助」に転化し、最終的には行政の「公助」を支える。マンションという居住形態は、それを制度的・物理的に実現しやすい。

 かといってすべての人が自助できるわけではない。そこで、災害用トイレのような在宅避難に不可欠でかつ備蓄されていない重要物資は、公助による後押しも必要である。

 たとえば、東京都の港区や品川区では一人当たり20個の災害用トイレを全世帯に配布している。災害になれば、行政はトイレを調達せざるを得ないのであるから、事前に配布する方が在宅避難を進めるうえでずっと効果的である。

 マンション防災は、決してマンション居住者のためだけの備えではない。都市全体のレジリエンスを高め、社会的コストを抑え、復旧・復興を早める「都市のバリュー」そのものである。

 住民の命と尊厳、暮らしを守ることが、都市の未来を守ることに直結する。

 このような認識のもと、いまこそマンション防災を、住民・管理組合・管理会社・オーナー・行政・企業等の協働によって、「仕組み」として強力に推し進めるときである。

 

著者プロフィール

跡見学園女子大学教授
鍵屋 一 かぎや・はじめ


1956年秋田県男鹿市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、東京・板橋区役所入区。法政大学大学院政治学専攻修士課程修了、京都大学博士(情報学)。防災課長、板橋福祉事務所長、福祉部長、危機管理担当部長、議会事務局長などを歴任し、2015年4月から現職。災害時要援護者の避難支援に関する検討会委員、(一社)福祉防災コミュニティ協会代表理事、(一社)防災教育普及協会理事なども務める。著書に『図解よくわかる自治体の地域防災・危機管理のしくみ』(学陽書房、19年6月改訂)など。

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跡見学園女子大学教授

(かぎや・はじめ) 1956年秋田県男鹿市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、東京・板橋区役所入区。法政大学大学院政治学専攻修士課程修了、京都大学博士(情報学)。防災課長、板橋福祉事務所長、福祉部長、危機管理担当部長、議会事務局長などを歴任し、2015年4月から現職。避難所役割検討委員会(座長)、(一社)福祉防災コミュニティ協会代表理事、(一社)防災教育普及協会理事 なども務める。 著書に『図解よくわかる自治体の地域防災・危機管理のしくみ』 (学陽書房、19年6月改訂)など。

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