新・地方自治のミライ

金井利之

「新・地方自治のミライ」 第78回 「表現の自由」のカコ・ミライ

NEW地方自治

2025.03.17

本記事は、月刊『ガバナンス』2019年9月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

はじめに

 2019年8月1日に名古屋市内で開幕した国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」(実行委員会会長:大村秀章・愛知県知事)は、企画展「表現の不自由展・その後」の中止を8月3日に発表した(注1)。近年、自治体は「創造都市」論的に、芸術文化は経済活性化に繋がるなどと考え、地域振興の観点から展開することも多い。しかし、文化芸術や創造活動は、表現の自由とも密接に関わり、統治権力との関係は微妙である(注2)。自治体も統治機構の一部であり、賢慮によって対応をしなければならない。そこで、今回はこの問題を採り上げよう。

注1 時事通信電子版2019年8月3日22:24配信。

注2 中日新聞2019年8月4日付朝刊。経済政策としてではなく、政治的な情報宣伝・思想注入に文化芸術スポーツなどを為政者は使うこともある。例えば、国威発揚ための五輪や万国博覧会である。あるいは、国策映画や慰問団・慰問雑誌である。但し、統治権力が直営するとは限らない。民間関係者が忖度すればよい。戦地慰問の「わらわし隊」は、朝日新聞主導で吉本興業芸人(一部は軍属)による。早坂隆『戦時演芸慰問団「わらわし隊」の記録』中央公論新社、2008年。なお、近年では、首相が吉本新喜劇に「慰問」することもあるようである(2019年4月20日)。

圧力の経緯

「圧力の経緯」のイメージ画像

 この企画展は、「少女像」(注3)や憲法9条をテーマにした俳句、天皇に関する作品など、各地の美術館から撤去されるなどした二十数点を展示したものである。芸術監督・津田大介氏は、過去の文化施設で展示が不許可になった作品を提示することで、表現の自由について再度議論をしたい意図があった。

注3 もっとも、単に「少女像」と呼称するだけでは、何を意味するのか全く分からない。「少女像」と呼称することで、従軍慰安婦問題ではなく、例えば、戦時性暴力、性奴隷、売買春、児童性的虐待等の一般的問題として解釈することも、ひとつの政治的立場である。しかし、これは、像によって伝えたい表現を受け手が否定することかもしれない。外務省・自民党は、未成年以外もいたとして「少女像」ではなく「慰安婦像」と呼称を統一した。これによって、従軍慰安婦問題の象徴であると位置づけた。毎日新聞電子版2017年2月2日付。

 これに対して、河村たかし・名古屋市長が「日本国民の心を踏みにじる行為」として展示の中止を求める抗議文を大村知事に送った。また、菅義偉・官房長官や柴山昌彦・文部科学大臣は、国の補助金交付の決定に当たって確認・精査が必要であるとした。そして、実行委員会には多数の抗議や、テロ予告・脅迫電話などが殺到した。「ガソリン携行缶を持ってお邪魔する」というファクスもあった。そこで、大村知事は、行政が展覧会の中身にコミットするのは控えるべきと留保しつつも(注4)、安全に芸術祭を続けるために企画展の中止を決定した。来場者の安心・安全のため、抗議電話などに忙殺される事務局の対応能力の限界のため、という(注5)

注4 大村知事は、内容にわたる河村市長の抗議に対しては、コメントすると内容にコミットすることになるので、黙殺する姿勢を示した。HUFFPOST NEWS 2019年8月3日18:28配信。

注5 朝日新聞2019年8月4日付朝刊。

身近な自治体と表現の不自由

「身近な自治体と表現の不自由」のイメージ画像

 表現の自由を始め、個人の自由を守ることは簡単ではない。独裁者が、多数派民意に反して、個人の自由を抑圧することは、民主主義で防げる。しかし、民主的多数派に支持されている為政者も、個人の自由を抑圧し得る。民主主義は、〈多数派の専制〉に陥る可能性を内包するからである。このために、為政者や民意を分割・競争させる権力分立制や自由主義が不可欠なのである。

 自治制度は権力分立制の仕組の一つであるが、個々の自治体は、多数派民意に支えられた首長を戴く意味で、〈多数派の専制〉の温床である。単なる自分の好みを、選挙で多数派を得たというだけで、あたかも「皆の好み」であるかのごとく僭称して、個人や少数派を抑圧しかねない。ムラの人間関係に支えられた小規模自治体や、無縁な群衆の流砂である大都市自治体では、こうした権利抑圧が起きやすいともいう。

 そこで、権利保障には、権力が個人から距離があった方がいいという見解がある。名古屋市長が政治的圧力を加えたことは、身近な政府が最も危険な権力であることを改めて再確認させた点で、重要な教訓である。住民から距離のある愛知県の方が、よほど権利保障に配慮が見られた。もっとも、吉村洋文・大阪府知事は「反日プロパガンダ」として止めにかかるとか、大村知事は辞職相当などと見解を示した(注6)。その意味で、距離があるところから抑圧の危険が及ぶこともある。

注6 読売新聞電子版2019年8月8日9:18配信、サンスポ電子版2019年8月7日19:33配信。

国と表現の不自由

 個人と距離が最も遠い国は、裁判所の水平的権力分立制もあり、権利保障に役立つ、という言説はある。しかし、今回の事件を見る限り、そうでもない。国は補助金という財力をちらつかせて、表現の自由に介入しようとする意志を見せた。

 もし、表現者や企画者が国に忖度しないで企画展を続ければ、国は財力等の圧力を行使するかもしれない。忖度して国が嫌がる企画展を中止すれば、事後的には明示的な圧力行使をする必要はない。いずれにせよ、表現の不自由は実現する。さらに言えば、今後の補助金交付決定に対しては、申請段階から内容に細かく「精査・確認」をするようになり、事前的な圧力行使(「検閲」)を行うかもしれない。さらに、こうした「検閲」を忖度して、国が嫌がる企画をしなくなれば、表現の不自由は貫徹する。つまり、国という統治権力は、権利保障にとっては、役に立っていない(注7)

注7 200万巨大都市・名古屋市による権利抑圧は、基礎的自治体に見られる身近なしがらみというより、国と同様に、巨大権力を背景にしているのかもしれない。

 もっとも、幸か不幸か国は万能ではない。少女像も、日本国家権力の及ばない空間(例えば、アメリカなど)では、つまり、アメリカ圏内では少女像に関しては表現の自由はある。とはいえ、日本国内では表現の不自由であるので、日本国内の個人の観点からは問題であろう。

距離のある自治体と表現の不自由

「距離のある自治体と表現の不自由」のイメージ画像

 愛知県は、津田大介氏を芸術監督に選出したが、これまで内容には口出しをしなかった意味で、最も表現の自由に近い為政者だったかもしれない。少なくとも、表現内容を理由にして中止を正当化したわけではない。しかし、安心・安全を理由に表現の不自由を許容したことは、問題もある。実力・財力などの恐怖(terror)に屈して言動を変えるのは、テロ(terror)助長行為だからである。「ガソリン携行缶を持ってお邪魔する」とファクスすれば、何でも思い通りになるならば、京都アニメーション事件の模倣犯を支援したことになりかねない。結果的に、国と名古屋市と大阪府は、問題のある対応だったが、愛知県も望ましくない対処をしてしまった。

 安全を確保するのも主催者の責任である。例えば、五輪をしなければ五輪を標的にしたテロは起きない。しかし、テロを恐れて五輪が開催できないのはおかしい。そこで、テロ対策の工夫をする。とはいえ、テロ対策が様々な表現・行動などの自由を制約しかねないので、智恵と工夫が求められる。物議を醸すかもしれない企画展は、自制・自粛・中止するのではなく、実行しながら、いかに安全を工夫するのかが問われていた。この点では、愛知県は表現の自由を保障する大問題に対して、思慮と準備が足りなかった。

おわりに

 各地で展示不許可になったのは、日本各地で表現の自由が守られていないからである。しかし、空間的に権力分立されているのは、ある地域(例えば、大阪府)の為政者が表現の自由を抑圧しても、他の地域の為政者には表現の自由を認める存在も有り得る、ことを期待したものである。各地で不許可になるのは、それだけ物議を醸し得る展示だからなのであるが、それを、愛知県が敢えて展示したことは、まさに地方自治の本旨に適う。しかし、愛知県でも展示中止に追い込まれたことは、空間的権力分立の意義を失わせた。

 それでも、敢えて愛知県が企画展を試みたことにより、日本は表現の不自由な社会であることを白日の下に晒したわけで、企画の趣旨は別の意味で〈成功〉であった。為政者や苦情者が嫌がる表現をしなければ、圧力も抗議もないので、表面的には「表現の自由」がある社会であるかのごとく印象操作できる。しかし、実際には、補助金停止・施設使用不許可や「ガソリン携行缶」などという、為政者や苦情者からの圧力・抗議が予測されるので、その恐怖(テラー)から表現できないだけである。とするならば、それはテロ(テラー)に屈するような表現の不自由な社会でしかない。にもかかわらず、あたかも「表現の自由」のある社会であると錯覚した「愚者の楽園」(注8)であることを、明らかにした。

注8 若泉敬『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』文藝春秋、1994年。

 もちろん、中止に追い込まれたことは、顕在的・明示的なテロに屈したわけで、「悪しき前例を作った」という批判も有り得よう。しかし、そもそも、各地で悪しき前例があるから「表現の不自由展・その後」になったのであって、この批判は当たらない。むしろ、混乱を恐れてこの企画をしなかったことの方が、潜在的・黙示的にテロに屈し続けていることを不可視化し続けているので、より深刻なのである。

 

 

Profile
東京大学大学院法学政治学研究科/法学部・公共政策大学院教授
金井 利之 かない・としゆき
1967年群馬県生まれ。東京大学法学部卒業。東京都立大学助教授、東京大学助教授などを経て、2006年から同教授。94年から2年間オランダ国立ライデン大学社会科学部客員研究員。主な著書に『自治制度』(東京大学出版会、07年)、『分権改革の動態』(東京大学出版会、08年、共編著)、『実践自治体行政学』(第一法規、10年)、『原発と自治体』(岩波書店、12年)、『政策変容と制度設計』(ミネルヴァ、12年、共編著)、『地方創生の正体──なぜ地域政策は失敗するのか』(ちくま新書、15年、共著)、『原発被災地の復興シナリオ・プランニング』(公人の友社、16年、編著)、『行政学講義』(ちくま新書、18年)、『縮減社会の合意形成』(第一法規、18年、編著)、『自治体議会の取扱説明書』(第一法規、19年)、『行政学概説』(放送大学教育振興会、20年)、『ホーンブック地方自治〔新版〕』(北樹出版、20年、共著)、『コロナ対策禍の国と自治体』(ちくま新書、21年)、『原発事故被災自治体の再生と苦悩』(第一法規、21年、共編著)、『行政学講説』(放送大学教育振興会、24年)、『自治体と総合性』(公人の友社、24年、編著)。

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