「新・地方自治のミライ」 第34回 マイナンバーのミライ

時事ニュース

2023.08.17

本記事は、月刊『ガバナンス』2016年1月号に掲載されたものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、現在の状況とは異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

はじめに

 2016年1月から、社会保障・税番号制度、いわゆる「マイナンバー」または「総背番号制」「個人番号」「共通番号」の実働が開始される。このための準備として、住民票のある各市区町村から、住民票にある住所に対して、個人単位ではなく世帯単位で、通知カードの郵送が開始されている。

 発送自体が当初の予定より遅れていること、郵便の誤配送が見られること、郵送先での受け取りがなされないことによる市区町村への返送が大量に上ることなど、様々な事象が発生していることは、報道でもよく知られていることである。

 そこで、今回は、新春の新制度の実働開始を「祝」して、自治体の視点に絞って、このテーマを取り上げることとしよう。

由らしむべし、知らしむべからず

 新しい制度は、「由らしむべし、知らしむべからず」(注1)である。法的権力によって強制することは可能であっても、人々にその内容や是非を理解してもらうことは、極めて難しい。そのため、「マイナンバー」にかこつけて、様々な詐欺や事件も起きている。フィッシング(phishing/fishing)の毛針には非常に有用だからである。また、今後も、法的に義務がないにもかかわらず、無理矢理に、または、あたかも自然体で、個人番号の供出を迫られることもあろう。

注1 通常、この『論語』由来の慣用句は、為政者は人々に知らせたり分からせたりする必要はない、ただ、施政に従わせればよい、という秘密主義的な転義で理解されている。しかし、原義は、為政者は人々に施政に従わせることはできても、その理由を人々に理解してもらうことはできない、という説明責任の難しさを指している。

 また、個人番号カードの申請は任意にもかかわらず、今回の通知カードをみて、個人番号カードの申請が義務だと勘違いしている人もいる。もちろん、この「勘違い」は、個人番号カードの普及、さらには全国民必携を目指している為政者や、膨大な需要を期待するICTゼネコンにとっては、願ったり適ったりでもある。正直に「義務ではない」ことが国民に理解された住民基本台帳カードは、ほとんど普及しなかったからである。

 このように、個人番号制度は、日本社会のなかの一部の人々にとっては、大変に慶賀すべきことであろう。

実施責任の負担転嫁

 制度実施時の混乱の最前線として、不平不満のある住民から叩かれることが、国の為政者にとっての自治体の存在意義である。国の為政者が一方的に決めた制度について、その是非を論じる資格を与えられないまま、粛々と実行することが期待されているのである。これは、日本郵便株式会社も同様であるし、国立印刷局もそうであるし、付番をしている地方公共団体情報システム機構も同様である。要は、国は決めるだけで、あとは「やれ」と命令するだけである。例えば、配達が遅れたり誤配があれば、国の為政者は郵便会社を呼び出して叱責すれば、あたかも責任が果たされたようなことになる。国の為政者の仕事は気楽である。自治体に対しても同様である。

人々を把握する制度の性格

 社会保障・税番号制度は、一生涯変わらない個人を一意に特定できる総背番号制を目指すものであり、行政が人々を把握する制度である。いわば、指紋や虹彩をバーコード化したようなものである。しかし、技術的な性格の違いはともあれ、これまでも行政は人々を個々人単位で把握してきた。これが、戸籍制度と住民基本台帳制度である。今回の番号制度も、立ち上げ付番時には少なくとも、住民基本台帳制度の上に乗っている。

 その特徴は、第1に、住所を介して市区町村に人々が把握されているということである。つまり、国の為政者にとっての市区町村の存在意義の一つは、個々人の特定に役立っていることである。

 第2に、その前提は、ある個人がある市区町村に住所を持っているという擬制である。個々人は動き回るから、本当は住所地に固着していない。むしろ、動き回る個々人を現在地で追跡することが困難であったので、住所に帰着させて把握してきたのである。

 第3に、戸籍も住民票も、人々を個人単位まで行政が把握する制度でありながら、実は、「戸」(人間集団としてのイエの構成員)または「世帯」(物的空間としての家の構成員)として、集団的に把握されている。

 市区町村が、住民票のある住所に、世帯単位で通知カードを郵送するというのは、まさに、この住民基本台帳制度の性格を、そのまま再現しているである。

人々を把握する制度の変質

 このような再現過程に、冒頭に述べたような混乱事象が伴っていることは、大変に示唆的である。

 第1に、市区町村を通じて、人々は必ずしも把握されていないことを顕現するものであった。

 第2に、それはなぜかと言えば、そもそも、かなりの人々は住民票のある住所には住んでいないからである。あるいは、住んでいるのか住んでいないのか、よく分からないのである。深夜に帰宅して日中は出掛けているかもしれないし、「引きこもり」「居留守」かもしれないし、実際には引越しをしているが住民票を移していないかもしれないし、死んでいるのかもしれない。

 第3に、「個人」番号を通知するときに、他人の番号まで一括して郵送通知するという、個人に配慮の欠けた運用をしている。現実には、名目上の住民票世帯は、必ずしも実態の個人間の親密関係を意味するものではない。市区町村が、個人番号をみだりに他人に知らせている。

 このように見てくると、通知カードの世帯への郵送は、市区町村や世帯によっては、実質的に人々を把握できなくなっている状態を、国の為政者として、改めて確認する作業であったといえよう。

 そして、個々の人間に個人番号を付番すれば、住所・世帯を介しないでも、あるいは、市区町村を介しないでも、国の為政者は個人を特定できるようになるわけである(注2)。いわば、市区町村は、国の為政者から、存在意義がないとして、見切りをつけられる時期が迫っているのである(注3)

注2 広域的・全国的・全球的に活動する金融機関・販売業者などの営利企業や医療・社会保障業者などにとっても同様である。

注3  もちろん、出生や入国の段階で新規に付番をする作業は残るが、これは必ずしも市区町村である必要はない。国の出先機関または地方公共団体情報システム機構に、直接、届出を出せばよい。

おわりに

 このような変容を寂しいと思うとするならば、国の出先機関としての市区町村という役割意識が、あまりにも強く掏り込まれているからである。むしろ、国が個人番号を持っているのであれば、市区町村は戸籍・住民基本台帳という行政インフラ整備業務から解放される道筋も見えてくる。市区町村は、個人番号があれば、実務上では便利であるだろう。市区町村は、個人把握を提供する業務から、把握された個人情報を利用する業務に転換する。

 ただ、自治体にとって重要なのは、その個人番号のある個人は、必ずしも、当該自治体にとって「住民」であることを意味しないことである。むしろ、自治体は独自の住民リストを作成する業務を、明確に背負ったということである。これまでの住民基本台帳制度では、①自治体の実在住民リストと、②国にとっての人々の把握とが、渾然一体となっていた。それ故に、実は、住民リストとして実在がきちんと把握されていない住民基本台帳で、あたかも、住民リストであるかのごとき擬制をしてきたのである。

 個人番号制度の実働により②は、早晩、バーチャル空間上の総背番号・登録に遊離することになろう。そのときに、国の為政者は、①の実在住民リスト維持更新には関心を持たないだろう。しかし、自治体にとって重要なことは、①のリストである。

 今日、基礎的自治体であるはずの市区町村は、人口の流動化、世帯形態の多様化、プライバシー意識の増大、合併による空間規模の拡大と職員削減などにより、個々の住民をほとんど把握できない状態に陥りつつある。だからこそ、国の為政者は市区町村による住民リストの整備の可能性を見捨てて、独自の総背番号制度に乗り換えた。取り残されつつある市区町村は、今後の対策を検討していかなければならない。

 

 

Profile
東京大学大学院法学政治学研究科/法学部・公共政策大学院教授
金井 利之 かない・としゆき
 1967年群馬県生まれ。東京大学法学部卒業。東京都立大学助教授、東京大学助教授などを経て、2006年から同教授。94年から2年間オランダ国立ライデン大学社会科学部客員研究員。主な著書に『自治制度』(東京大学出版会、07年)、『分権改革の動態』(東京大学出版会、08年、共編著)、『実践自治体行政学』(第一法規、10年)、『原発と自治体』(岩波書店、12年)、『政策変容と制度設計』(ミネルヴァ、12年、共編著)、『地方創生の正体──なぜ地域政策は失敗するのか』(ちくま新書、15年、共著)、『原発被災地の復興シナリオ・プランニング』(公人の友社、16年、編著)、『行政学講義』(ちくま新書、18年)、『縮減社会の合意形成』(第一法規、18年、編著)、『自治体議会の取扱説明書』(第一法規、19年)、『行政学概説』(放送大学教育振興会、20年)、『ホーンブック地方自治〔新版〕』(北樹出版、20年、共著)、『コロナ対策禍の国と自治体』(ちくま新書、21年)、『原発事故被災自治体の再生と苦悩』(第一法規、21年、共編著)など。

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