議会局「軍師」論のススメ
議会局「軍師」論のススメ 第29回 議会は「野望と嫉妬のジュラシックパーク」か?
地方自治
2020.10.15
議会局「軍師」論のススメ
第29回 議会は「野望と嫉妬のジュラシックパーク」か? 清水 克士
(月刊「ガバナンス」2018年8月号)
議会のことを「野望と嫉妬のジュラシックパーク」と比喩するのを初めて聞いたのは、自治体学会で登壇したパネルディスカッションにおいてである。その意味は概ね、権力闘争に明け暮れる議会を、制御不能となった恐竜たちのテーマパークになぞらえたものであった。
不謹慎だとお叱りを受けるかもしれないが、発言した議員に「言い得て妙だ」と、率直な感想を伝えたところ、以前から使われている自虐ネタだという。だが、それは議員の自虐ネタに留まらず、執行機関職員の議員に対する本音をも見事に表現していると感じることがあった。
■議員は恐竜なのか?
5月末に大阪で「あなたにとって議会とは~議会の必要性と自治体職員の役割~」とのテーマで、「自治体職員有志の会」オフ会が開催された。そこでは、執行機関職員と議会局職員の両方の経験から、議会について話す機会をいただいた。
私は議会関係者の研修で話す機会は多いものの、執行機関職員対象の機会は限られることもあり、あらためて気づいたこともあった。
その一つは、執行機関職員にとっての関心事は、機関としての議会ではなく、一般質問などで無理難題を吹っかける議員個人にどう対処するか、に収斂されるということである。それは参加者アンケートにも「議員が来るとなると爆弾に接する感じ」との感想で端的に表現されていた。執行機関職員からは、残念ながら議会というよりも議員個人の存在が、非常にやっかいだと捉えられているのである。
まさに執行機関職員は、暴れる恐竜たちに恐れおののき、右往左往する人類のようである。
■議員と職員のズレの構造
執行機関職員も、市民の代表たる公選職の首長に仕える立場でありながら、同じ公選職である議員に対する印象が顕著に異なるのは何故だろうか。もちろん、議員に指揮命令されないことや、一方的に批判されることが多いといった、立場の相違に起因することもある。
だが本質的には、議会を構成する公選職が複数であるがゆえに、議員個人の意思と、議事機関としての意思のズレが必然となることが大きいのではないだろうか。執行機関はそれを意識した慎重な対応を強いられる一方で、議員個人は各々が市民の代表であるとの強い自負から、自己主張が通らないこと自体を不合理と感じがちだからである。
この両方の意識のズレが顕在化し、時として理論よりも感情論が優先されるところに、執行機関職員の議会対応の悩みがある。
■議員との協働という視点
一方で、参加者アンケートでの「議員とも対話、共感、協働ができるように向かい合っていきたい」との力強いコメントには、共感させられた。
それは住民と行政との協働が定着する中で、住民の代表である議員と執行機関職員の協働も不思議ではないと感じるからである。
議員の仕事としては、行政の監視の面が強調されがちであるが、そればかりではない。自治体の政策立案過程において、議員との協働が求められるのは、決して議会局職員だけではない。議員と執行機関職員も、市民福祉の向上のために働くという目的意識は共通するのであるから、忌避するばかりでなく、協働の可能性も探るべきだと思うのであるが、いかがであろうか。
*文中、意見にわたる部分は私見である。
Profile
大津市議会局長・早稲田大学マニフェスト研究所招聘研究員
清水 克士
しみず・かつし 1963年生まれ。同志社大学法学部卒業後、85年大津市役所入庁。企業局総務課総務係長、産業政策課副参事、議会総務課長、次長などを経て2020年4月から現職。著書に『議会事務局のシゴト』(ぎょうせい)。