【事例紹介】伊那市(長野県)特集:医療・福祉・介護分野のデジタル化 MaaSによる遠隔診療 「モバイルクリニック」(月刊J-LIS2020年10月号より)
地方自治
2020.11.16
目次
【事例紹介】伊那市(長野県)特集:医療・福祉・介護分野のデジタル化 MaaSによる遠隔診療「モバイルクリニック」
(月刊「J-LIS」2020年10月号)
※この記事は、地方公共団体情報システム機構発行「月刊J-LIS」2020年10月号に掲載された記事を使用しております。なお、使用に当たっては、地方公共団体情報システム機構の承諾のもと掲載しております。
医療サービスを必要な人々の元へ届けるという理念のもと伊那市が推進するのが、医師の乗らない移動診察車を活用したモバイルクリニック実証事業です。この事業では、看護師を乗せた専用車両が患者宅を訪問し、車両のビデオ通話機能を利用して医師が診療所からオンライン診療を行います。少子高齢化が進む中、患者の診療のための移動にかかる負荷と、医師の往診にかかる負荷の軽減を目指しており、同様の課題を抱える全国の自治体からも注目を集めています。この取り組みについて、伊那市企画部企画政策課新産業技術推進係の安江輝係長と池田佳幸コーディネーターにお話を伺いました。
日本初のMaaS による遠隔診療の実証事業
長野県の南部に位置する伊那市の面積は667.93㎢で、県内で3番目に広い市域を有しています。市ではかねてより、患者の通院と医者の訪問診療が大きな負担となっており、特に中山間地域での医療体制の確保・医者不足への対処が課題となっていました。そうした課題を解決すべく、MONET Technologies㈱(ソフトバンク㈱とトヨタ自動車㈱の共同出資会社)と㈱フィリップス・ジャパンとの協業で行うヘルスケアモビリティの運用事業が「伊那市モバイルクリニック実証事業」です。市は、MONET Technologies㈱とは次世代モビリティサービスに関する業務連携協定を、㈱フィリップス・ジャパンとはヘルスケア領域におけるモビリティ事業に関する業務連携協定を締結しています。
日本の地方都市が抱える医療課題をMaaS(Mobility as a Service=ICTを活用して交通手段による移動をサービスとして提供する手法)によって解決することを目指し、昨年度と今年度の2年間で実証事業を行っています。
モバイルクリニックとは、医療機器を搭載して看護師を乗せた専用車両が患者宅を訪問し、車両のビデオ通話機能を利用して医師が遠隔地から診察をした上で、現地の看護師が医師の指示に従って患者の検査や必要な処置を行うものです。高齢の患者にオンラインツールの使用を強いることなく、看護師が補助することで、より確実で現実的な診療が行える点が特徴です。また、モビリティとリモート医療を組み合わせたその先進性が評価され、「MaaS アワード2020」(主催:国際オートアフターマーケットEXPO(IAAE)実行委員会)の「サスティナビリティ・地域貢献部門」を受賞しています。
(左から)伊那市企画部企画政策課新産業技術推進係の安江輝係長と池田佳幸コーディネーター(INA ヘルスモビリティをバックに)。
システムで訪問ルートを効率化
モバイルクリニック実証事業で使われるオンライン診療用車両は、配車プラットフォームと連携しており、効率的なルートで患者の自宅などを訪問することができるようになっています。また、この配車プラットフォームは、MaaSの運行ナビシステムで、複数の病院で1台の車をシェアすることができる仕組みも搭載しています。
あらかじめ患者が合意したオンライン診療の予約時間に合わせて、医師や看護師がスマートフォンアプリやパソコンから配車を予約。予約時間に合わせて車両に看護師が同乗して、患者の元へと移動すると、患者は車内に乗り込んで、診療所にいる医師とビデオ通話によるオンライン診療を受けるという流れです。
心電図モニターや、血糖値測定器、血圧測定器、パルスオキシメーター及びAED など、診察に必要な医療機器が車両に搭載されており、ビデオ通話による診断の結果、それらの機器を使った処置が必要だと医師が判断した際には、医師の指示に従ってこれらの機器などを用いて看護師が処置や検査を実施します。
また、医師と看護師など医療従事者間の情報共有を目的に、車両内に設置されたパソコンで患者のオンライン診療時のバイタルデータや当日の様子など訪問記録の入力・管理ができる情報共有クラウドシステムも用意されています。
高齢化と医師不足という課題に向き合い続ける中で
伊那市のある上伊那医療圏では、少子高齢化が進む一方で医師の数が足りない状況が続いており、中山間地域の医療体制づくりが求められています。また慢性疾患による定期通院患者は、経過観察や投薬が主であり、病院への移動や待ち時間が負担となっているほか、医師にとっても、訪問診療の際に遠方の患者を診察するのは負担が大きいという課題があります。
人口10万人当たりの医師の数は、全国的には増えているものの、都市部に偏在しており、地方では減少が続いています。2025年問題と言われるように、今後、3人に1人が高齢者となっていく中で、医師不足が深刻な問題となることは間違いなく、患者と医師の両面から持続可能な医療体系の構築も課題となっています。
この課題について、伊那市企画部企画政策課新産業技術推進係の安江輝係長は次のように言います。「基本的に医療事業は国民皆保険制度の下、住民が医療サービスにアクセスしやすい体制が整っています。そうした中で、自治体が取り組む地域医療には、本市でも様々な取り組みを行っているところです。そして高齢者に目を向けると、医療とは切っても切れない関係にある一方、公共交通機関が減少して病院にアクセスしにくい、家族も付添をはじめとした介護の負担が大きいといった課題を抱えています。これらの課題を解決することが、当市も含めて全国の自治体では何年もテーマとなっています。モバイルクリニック実証事業は、この解決策の1つとなることを目指したものです」。
オンライン診療の様子(医師側)。
オンライン診療の様子(患者側)。
導入障壁を乗り越え、令和元年度に一気に具体化
安江係長とともにモバイルクリニック実証事業を担当する同係の池田佳幸コーディネーターは、総務省が行う地域創生支援事業「地域おこし企業人」として、平成30年7月に民間企業から市へと出向しました。池田コーディネーターのミッションは、情報やサービス、人脈、知見などを提供しながら、協力企業とのコネクションづくりや技術的な提携のサポートを行い、市のICT化に貢献することです。
「今回のモバイルクリニック事業の企画にあたっては、移動に関する課題解決に向けた実証事業に対して助成を行う『トヨタ・モビリティ基金』の公募情報を提携企業から紹介してもらい、この取り組みを私から市企画政策課に伝え、いろいろな方から意見をもらいながら事業のアウトラインを作成していきました。そして企画を応募したところ、そのアイデアが採択され、実証事業として具体化されていったのです」と、池田コーディネーターは話します。
同じ時期に、国もオンライン診療を緩和する方向に動いていました。平成30年3月には、厚生労働省より、情報通信機器を用いた診療に関するガイドライン作成検討会で議論された「オンライン診療の適切な実施に関する指針」が発表され、昨年度見直されたことも、実証事業の具体化を後押ししたと安江係長は言います。
こうして、トヨタ・モビリティ基金から、令和元年度からの2年計画で、事業費3,000万円を100%助成されることで、実証事業はスタートしました。2年間の具体的な計画について、安江係長は次のように説明します。
「昨年度はフェーズ1として、オンライン診療用車両の開発とオンライン診療手順の確認、実証実験を予定していました。診療用車両は11月末に完成し、12月から2月の3か月間で、医師や看護師とオンライン診療のシミュレーションをし、フェーズ2として、いざ3月から実際に患者を診るとなったときに、新型コロナウイルスの話が出てきたのです。そこで3月に実証事業は停止し、コロナ禍におけるモビリティの感染対策を関係者で協議、今年度に入ってから、感染対策マニュアルを作成しました。そして、6月9日に事業を再開して、今日に至っています」。
医師、患者、家族それぞれから評価の声
6月9日から9月1日までの60営業日での実績を見ると、エントリー総数(運行管理システムに医療機関から車両の予約数)は29件で、オンライン診療を受けた患者は14人、延べ実施数は19件でした。また、患者のうちの63%が、病院への移動が難しい車椅子利用者でした。一方で容体の急変や天候不順など、キャンセルも3件あり、実施率は86%となっています。
事業に参加した医師からは、往診の時間負担がなくなった上、ビデオ通話画面を通じたオンライン診療を活用することで診療にかける時間を効率化できたといった声が寄せられているほか、患者からは、これまで月に1回ほどしか通院できなかったのが、合間に医師と話すことができる機会を増やせるのでありがたいなど感謝の言葉が寄せられていると池田コーディネーターは話します。また患者の家族からも、「送り迎えの車の乗り降りの手間や病院で順番を待つ時間がなくなりとても助かる」など、評価する声が多いとのことです。
オンライン資格確認にも期待
これまでの実証事業の結果を受けて、伊那市はサービスの本格展開に向けてさらなる取り組みを着々と進めています。この11月には、配車プラットフォームの刷新を予定しているほか、デジタル聴診器を試験導入することに加えて、コンパクト超音波測定器の使用も検討しています。
車両運行システムに関して安江係長はこう語ります。「医療MaaS というのは基本的に『患者を何時にオンライン診療するか』が起点になっています。そのためには、看護師は何時に乗車して何時に車両が出発し、そして、看護師が病院に戻ってくる時間はいつかというのを、トータルにAI に組み込んで車両運行管理を行う必要があります。初めての医療MaaSのためのシステムが、ここからつくられていくと期待しています」。
また、調剤薬の配送スキームの構築も、市薬剤師会と大手薬局グループとの連携のもとに進められています。さらに重要な取り組みとなるのが介護事業所との連携です。「これは自治体として避けて通れないところです。自治体が担う介護保険制度にしても、医療と介護が地域で連携することを目指しています。ただ現実は今のところ実現できているとは言えません。そこで医療MaaSが、医療と介護連携のプラットフォームになるよう、診療後にケアプランナーが車両に乗り組んで患者のもとに赴き医療と連携するといった取り組みもすでに行っています」と、安江係長は話します。
診療報酬についても課題として捉え、車両を含めたオンライン診療のコストが正しく反映されるよう、医師と情報共有しながら考え方の整理と体系化に取り組んでいます。「課題はたくさんありますが、課題を見つけることが実証事業の目的でもあると言えます。そして見つかった課題には解決が不可能なものはないと信じて取り組んでいきます」と安江係長は言います。
さらに安江係長は、オンライン診療における資格確認へのマイナンバーカードの活用にも期待を寄せています。「マイナンバーカードの読み取り機を車両に搭載すれば、病院と同じようにオンライン資格確認、さらには決済もできるのではと可能性を感じています。そうなれば、現状の医療会計にまつわる課題も一気に解決できてしまうことになるでしょう。それは、調剤時の本人確認にも言えることです」。
最後に安江係長は、全国の自治体に向けてこうメッセージを発しました。「高齢化と医療の課題はすべての自治体に共通したいわば日本の課題であるので、モバイルクリニックをはじめ事例を共有しながら、情報共有を進めて日本各地の課題解決につなげていきましょう」。