
自治・地域のミライ
自治・地域のミライ|歴史と文化を受け継ぎ、新しい価値を生み出すまちを目指す 京都府与謝野町長 山添 藤真
NEW地方自治
2025.12.25
出典書籍:月刊『ガバナンス』2026年1月号
★「自治・地域のミライ」は「月刊 ガバナンス」で連載中です。本誌はこちらからチェック!

月刊 ガバナンス 2026年1月号
特集1:祭りと地域/コミュニティ
特集2:引継ぎは一日にして成らず
編著者名:ぎょうせい/編
販売価格:1,320 円(税込み)
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京都府与謝野町長
山添 藤真
2014年4月に全国最年少(当時)で地元・京都府与謝野町長となった山添藤真氏。地元の高校を卒業後に渡仏。フランスから見た地元に魅力を感じ、地方政治の世界に身を投じた。高級絹織物「丹後ちりめん」の産地の同町で、歴史や文化の息吹を継承しながら、未来を見据えて新たな価値を生み出すまちづくりの挑戦をしている。

加悦(かや)エリアにある「ちりめん街道」のシンボル・旧尾藤家住宅にて。ちりめん街道は、江戸から昭和初期にかけて高級絹織物「丹後ちりめん」が隆盛を極めた場所で、当時の建造物が建ち並ぶ。2005年に重要伝統的建造物群保存地区に指定。ちりめん商家の旧尾藤家住宅は、2024年に国の重要文化財に指定された。山添町長の着用する着物も、丹後ちりめんだ。
2006年3月1日に、与謝郡加悦(かや)町、岩滝町、野田川町の3町が合併し発足。京都府北部、日本海に面した丹後半島の付け根に位置し、南は福知山市、東は宮津市、西は京丹後市、兵庫県豊岡市と接している。総面積108.38平方キロメートル。町内を流れる野田川流域には肥沃な平野が広がり、天橋立を望む阿蘇海へと続いている。主要産業は「丹後ちりめん」に代表される織物業と農業。2025年11月末現在、人口1万8964人、8805世帯。2025年度の当初予算一般会計は134億2900万円。
地域の中にある潜在力に目を向け、その土地にしか放てない輝きを放つための努力を惜しまない
異国から見た地元
――高校まで地元で育ち、卒業後に渡仏。政治を志したきっかけは。
私は、江戸時代から続く「丹後ちりめん」の織元の長男として生まれ、高校まで地元で過ごした。実家の隣に暮らしていた叔父夫妻が、フランス・パリのソルボンヌ大学の出身で、通訳や翻訳の仕事をしていた。子どもの頃から身近な環境にフランスの文化があった。普段の生活圏が自分にとっての世界のすべてと感じていた頃に、自分の生活の近くにある「遠くの世界」がフランスのパリだった。
中学2年の時に、叔母に連れられて初めてパリへ行った。それから自分の人生を豊かなものにするヒントがフランスにあるのではないか、という思いになっていった。そして、高校を卒業後にフランスへと渡った。
現地に行ってからは、語学の習得からスタートした。その間、様々な都市や小さな村、そして国境を越えて他の国にも旅をした。大きな都市に行けば、大きな都市なりのまちのつくりがあり、建物のつくりがある。村へ行けば、村なりのまち並みがある。それぞれに独特の地域の色があった。なぜここまで都市や村が違うのか、その違いを表しているのが建築なのではないかと思うようになった。建築はそのまちの環境や人々の生活を内包している。建築を学ぶことを通して、その背景にある社会を見つめることができるのではないかという思いに至り、フランス国立建築大学パリ・マラケ校に入学した。
ある時、母から連絡があり、丹後地域の織物業者やものづくり事業者が、パリとベルギー・ブリュッセルで行う展示会で通訳として手伝ってほしいと頼まれた。実家の会社もその事業者の一つだった。約10日間、異国の地で故郷に出会うという経験をした。
この原体験は、私にとって非常に大きな機会となった。たしかに織物事業者の息子として生まれ、織物は身近なものだった。しかし、それまで織物やそこに関わっている人の話をじっくりと聞いたことがなかった。この時に、携わっている人々は非常に研究熱心で、誠実に織物のこと、そしてまちのことを深く考えているということを知った。そして、地元が「なんて素晴らしい織物を織るまちなのだろう」と実感した。
私は建築を学び始めた時のことを思い出していた。建築を通して社会をどう考えるかということに立脚して学んでいる。しかし、地元に目を向けると素晴らしい地場産業がある一方で、経済活動が衰退・縮小し、社会課題が顕在化している状況があった。
今の自分を形成してくれたのは、生まれ育った場所、成長させてくれた両親や地域の人たちが温かかったからこそフランスで挑戦できているのだと感じ、修了後地元に帰ることを決意した。
地元に戻り、どのような社会貢献ができるかと考えた時、いくつか選択肢があった。織物事業者である家業を継ぐことも考えたが、より広い視点から社会全体を最適化し、まちの活性化や持続性を担保していくことができるのは政治なのではないかという考えに至るようになった。
この思いを後押ししてくれたのが、整形外科医の親戚だった。「整形外科医は股関節の手術を通して1000人の人たちを幸せにすることができるかもしれない。でも政治はもっと多くの人たちの人生に関われる職責があるのではないか」と。この言葉が背中を押してくれた。
幼少の頃から地域のお祭りなどを通して、地域に育ててもらった。その背景には、丹後ちりめんをはじめとする地場産業の隆盛があった。そうした社会をまるごと領域として捉えることができるのは政治、そして一番お世話になった人たち、住民の皆さんに近いのが地方政治だと考え、政治の道に進んだ。

やまぞえ・とうま
1981年生まれ。江戸時代から続く丹後ちりめん織物の長男として生まれ、幼少期より地元の伝統文化に触れながら育つ。京都府立宮津高校(現・京都府立宮津天橋高校)卒業後、渡仏。フランス国立建築大学パリ・マラケ校、フランス国立高等社会科学研究院パリ校で建築学と哲学を学ぶ。尾崎行雄記念財団主催咢堂塾修了。与謝野町議会議員を経て、2014年より現職(3期目)。前全国若手町村長会会長。
“与謝野力”を高めるために
――町議会議員を経て、2014年に与謝野町の2代目町長として3期、町政を担ってきた。
産業振興には力を入れてきた。その中でも、注力してきたのが地場産業である織物業と農業だ。この二つは、単なる経済活動ではなく、地域の文化をつくってきたものでもある。地元の産業が成立しうるのは、美しい環境や人材育成、社会と学校双方で有意義な状況になっていることが重要だ。これらの産業を基軸として置きつつ、環境政策、教育政策を合わせた三領域を一体的なものとしてまちづくりを推進してきた。
特に重要視してきたのは、産業構造の根幹をしっかりと整えることだ。たとえば農業では、美しい土壌でなければ美味しいお米や野菜が栽培できないと考え、自然循環農業を大切にしてきた。近海で獲れる魚のアラや米ぬか、おからなどを原料に町内の施設(与謝野町有機物供給施設)で100%オーガニックの肥料「京の豆っこ肥料」を作っている。この肥料は、地域の農家の皆さんに提供し、活用いただいている。全国でも珍しい「行政が有機質肥料を生産し、農家が購買する」取り組みだ。この肥料によって、地域として良い土づくりに努めている。
また、2015年からは「与謝野ホップ」の栽培も始まった。日本におけるホップの栽培は北海道や東北が中心で、大手ビールメーカーとの契約栽培がほとんど。これに対して当町では、メーカーと契約をしない“フリーランス”として販売できる生産者組合が設立され、全国のマイクロブルワリーに貴重な国産ホップを提供している。さらに、地元出身の若者たちが醸造所を作り、与謝野ホップを使ったビール製造もし始めている。まちの中で循環の形が生まれてきているように感じている。
ただ一方、人口減少が進む中で、産業に従事する人の担い手不足も進んでいるのも事実。乗り越えなければならない課題と捉えている。
――人材育成についても重視してきた。
やはり学校教育が大切だ。2014年に地教行法が改正され、すべての地方自治体に「総合教育会議」の設置が義務付けられ、首長が教育大綱を策定することとされた。本町でも教育委員会と連携して効果的な教育行政の推進を図るため、同会議を設置し、教育大綱を定めた。それに基づいて、学校教育、社会教育の政策の展開をしてきた。
特徴的な取り組みとしては、非認知能力の育成という観点に力を入れてきた。当町と隣接する兵庫県豊岡市にある芸術文化観光専門職大学と連携し、劇作家の平田オリザ学長に協力いただき、2022年度から町内の各小・中学校で演劇手法を通じたコミュニケーション能力の育成の教育を実践している。演劇では、児童生徒一人ひとりが、普段の自分とは異なる立場の人を演じることによって、互いを思いやったり、支え合ったりするような心持ちに変わっていく効果があるものだ。
総合的な学習の時間でも与謝野町を題材としたふるさと学習を重視し、まちへの誇りを持てるように教育を行っている。教育の目的としては、子どもたちが自分たちの幸せはどういうふうに実現することができるのかを自分で考えるということが大切だろう。その幸せの選択肢の一つとして地元にいることが選ばれるのであれば、地元の首長としては嬉しいことだ。
学校教育以外にも、2017年からは「よさのみらい大学」を開講し、まち全体をキャンパスに、未来を描き主体的に行動する人材の育成を目的に、幅広い年代層の学び舎を運営をしている。
当町の住民の皆さんは、自立性と公共性を両立した気質を持っていると思っている。私はこれを「与謝野力」と呼んでいる。文化的、経済的、社会的な活動の中でそのような気質が生み出され、それを継承しているのではないかと感じている。
判断ではなく、決断
――2期目の途中コロナ禍に入った。
コロナ禍に入った時に、基礎自治体の首長として私が重要視したのが、「判断ではなく決断をする」ということだった。100年に一度の公衆衛生上の危機。論理の積み上げや経験値を基にした判断よりも、先が見えない状況の中でしっかり責任を持って決断をしていく勇気が必要だと感じた。これは、コロナ禍だけでなく、人口減少が進むこの状況でも同じだろう。その勇気が必要な時代になったのだと強く思った。
移動の制限などによって住民の皆さんの生活は、大きな変化をせざるを得なくなった。その時に私が一番危惧したのが、コロナ禍の数か年の経験がその後の実社会にどう影響をもたらすのかということだった。
人と人の接触が極端に縮小する中、その影響を特に強く受けるのは子どもと高齢者だ。これらの層に対しては、これまで以上のケアをしていかなければ社会的にも大きな損失になってしまうのではないかと感じていた。実際に高齢者の方が地域のサロンや寄り合いに出てきていないといった状況も出てきた。その危機感から、近年は特に、行政が住民一人ひとりに寄り添うことを政策全体で推進していこうと意識づけを共有してきた。たとえば、専門的な医療の見地から孤立孤独対策などを行ってきた。また、当町は中山間地域の範囲が広く、そのエリアに一人暮らしの高齢者も多い。このような幹線への接続ができない層をフォローするための乗合交通も始めている。

お話をうかがったのは旧尾藤家住宅の新座敷。2階は、当時としては珍しい洋風の応接室になっている。その繁栄ぶりがうかがえる和洋折衷の建築美だ。
まちの新時代へ
――3期務めてきた経験から自治・地域のミライをどう描いているか。
2026年3月で、3町が合併し与謝野町が生まれて20年になる。当町では、岩滝地域に本庁舎を置き、旧町の加悦地域、野田川地域にも各課を分散して分庁舎制で行政機能を担っている。人口減少が進行し、行政サービスが複雑多様化する中で、より機能する役場をどうつくっていくのかという観点で考えることも今後重要となる。指示系統、迅速な政策立案、DX、そして職員の働き方改革など、複合的に時代の要請をしっかり受け止めながら環境整備をしていく必要があるだろう。
2025年度からは、第3次総合計画の策定に向けて動き出している。第2次計画策定の際は、延べ3000人以上の住民の皆さんに参画いただきつくり上げた。その時の議論も継承しながら深い対話をしてつくりたいと、無作為抽出方式で参加者を募り、10年後のまちの将来像を描くために「よさのみらい会議」を設置している。テーマ別に、住民、役場職員、専門家が混じり合って行う対話の場だ。現在、基本構想を練るための議論を重ねているところだ。
このほど、京都の西陣織を代表する老舗織元が、当町において桑栽培から養蚕、製糸まで一気通貫して行うことができる拠点を作ることになった。数年かけて一緒に取り組みを進めてきたが、これができることで世界に唯一無二の純国産シルク生産の拠点になり、地域に大きなインパクトを及ぼすだろう。私は、与謝野町のまちづくりは新時代に入ると思っている。観光だけでなく、今後はこの産業に関わる人たちが当町に足を運ぶことになるだろう。地域内への投資もこれまで以上に加速することを期待している。
この動きは、まさに300年かけて丹後ちりめんの歴史をつないできた当町の歴史や風土とリンクする。住民の皆さんと協働し、織物だけでなく、様々な産業で新たな価値を創造していくまちづくりにステップアップしていきたいと思っている。
――自治体職員にメッセージを。
2025年11月まで49歳以下で当選した全国の町村長で構成する全国若手町村長会の会長を1年務めた。全国各地、地域ごとの魅力がある。その魅力を最大化していく新しい地方自治のあり方を実現していきたいと思ったことが大きな学びだった。
自治体職員は、ややもすると地域の課題や問題ばかりに目を向けがちになる。当然それは大切なことだ。一方で、地域の中にある光や潜在力、そこにいる人たちに目を向けて、その土地にしか放てない輝きを放つための努力を惜しまないでほしいと思う。

(取材・構成/本誌 浦谷收、写真/吉見幸夫)
★「自治・地域のミライ」は「月刊 ガバナンス」で連載中です。本誌はこちらからチェック!

月刊 ガバナンス 2026年1月号
特集1:祭りと地域/コミュニティ
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