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197第4章防災庁舎の「無言の教訓」とくに今回の震災では多くの自治体職員が公務中又は庁舎にいて被災し犠牲となっている。例えば陸前高田市では職員443名のうち111名が死亡し、大槌町では職員139名のうち町長を含む40名が死亡または行方不明となるなど、数十名単位で職員が犠牲になったところも多い。南三陸町でも職員241名のうち死者・行方不明36名と、職員の約15%が犠牲になってしまったのである。表紙の円陣の写真のように必死になって住民の命を守るために努力した多くの職員たち。屋上にいた人たちは、津波襲来の恐怖におびえつつも戦線を離脱せず公務を優先した。最後まで職務を果たし懸命に努力しつつ自らも犠牲になったのである。職員たちは町の地域防災計画に基づく非常配備態勢中に多くが殉職した。それは客観的に考えても危険な公務である。住民に避難を呼びかけ、津波が来ているのがわかっていながら、持ち場を離れて自分だけ高台に避難できる状況ではなかった。また、被害想定を信じていたのでそこまでの大津波が来るとはだれも思っていなかった。しかし、想定を超える津波が来てしまえば逃げ場のない防災庁舎屋上に避難するしか選択肢はなかったのである。その屋上で想定の倍以上の大津波に襲われて多くの職員が犠牲になった。誰が見ても危険を伴っていた公務である。その中には二十代の若い職員や家族持ちのベテラン職員もい