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196「犠牲になった仲間の家族や友人たちに会うのが一番辛かった」「同僚が死んで自分だけ助かったことへの後ろめたさがあって、かける言葉が見つからない」「あの時、死んでいたほうがよかったと何度も思った」という言葉だった。もちろん助かった人が悪いはずはないし、責められるいわれもない。しかし、防災庁舎に限らずこの大震災の被災者や遺族にしてみたら、理不尽な災害でかけがえのない家族を奪われた怒りや悲しみのやりどころもなく、自然災害だからと割り切ることはできず釈然としていないことは間違いない。誠実に生きてきて、懸命に努力して家族を愛し生活を守り、まちづくりにも貢献しててきたのである。何ひとつ落ち度がないにもかかわらず、かけがえのない家族を失い家まで失って塗炭の苦しみを味わっている。私は約50年にわたり世界中の災害現場を歩いてきたがいつも災害現場で感じることは、犠牲になった人と、助かった人の間に明確な理由や共通の法則などありはしないということである。むろん犠牲者になにひとつ咎もないし、誤った行動だったとも思わない。その時点、その状況下でそれぞれが最善を尽くしていたに違いない。もちろん日頃の行いでもなければ、性格の良し悪しでもない。ほんのちょっとのタイミングやその時いた場所の差が生死を分けたのである。そして職務に殉じて亡くなっている。