南三陸町 屋上の円陣 ―防災対策庁舎からの無言の教訓―

「きっと守り抜く」 宮城県南三陸町の防災対策庁舎の屋上で円陣を組み、必死に津波に耐えようとしている人たちがいた。 そこには、強い決意で女性、高齢者、若い職員たちを円陣の内側に入れ、生死の瀬戸際にありながら、最後まで人間の尊厳と誇りを失っていない姿があった…。 「その時、何が起こっていたのか」今だからこそ明らかにできる防災・危機管理アドバイザー山村武彦による渾身のノンフィクション。


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198た。遺族にとっては受け入れがたい悲劇である。震災後の2012年、防災庁舎で犠牲になった職員の遺族33人は、補償を扱う地方公務員災害補償基金宮城県支部にそれぞれが特殊公務災害認定を申請した。しかし、全員不認定とされた。不認定理由は「防災庁舎には災害対策本部が置かれており、大きな被害は想定されていなかったはず」というものだった。つまり、高度に危険な公務ではなかったというのである。特殊公務災害とは、高度に命の危険がある公務に従事して災害にあった場合は、通常の公務災害の給付金に加算して給付が行われるという制度である。浅間山荘事件(1972年)で、犯人に殺された警察官2名の死亡が通常の公務災害と同じでは気の毒ということで、命の危険がありながら公務に従事した場合は、相応の補償をするべきだというところから生まれた制度。このため、特殊公務災害に認定されるためには、命の危険が高度に存在する公務に従事していなくてはならないとされていた。一般的公務従事中に、たまたま命の危険が生じたとしてもそれは特殊公務と認定されない。たとえば、自動車を運転する公務の場合で玉突き事故等により、命の危険が生じていたとしてもそれは特殊公務にはならない。特殊公務とされるのは、地方公務員でいえば、警察官や消防官、そして、災害時に避難誘導等の公務に従事する公務員に限定されている


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