南三陸町 屋上の円陣 ―防災対策庁舎からの無言の教訓―

「きっと守り抜く」 宮城県南三陸町の防災対策庁舎の屋上で円陣を組み、必死に津波に耐えようとしている人たちがいた。 そこには、強い決意で女性、高齢者、若い職員たちを円陣の内側に入れ、生死の瀬戸際にありながら、最後まで人間の尊厳と誇りを失っていない姿があった…。 「その時、何が起こっていたのか」今だからこそ明らかにできる防災・危機管理アドバイザー山村武彦による渾身のノンフィクション。


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7第1章勇者たち遺族だったら当然抱く疑問であり、最も知りたい情報である。きっと、涙が枯れるまで泣きながら「なぜ」「どうして」と問い続けたに違いない。そして今も悲しみや疑問は消えていない。私にできることがあるとすれば、50年間の現地調査経験を活かし、犠牲者や行方不明者の声なき声にもう一度耳を澄ませること。そして、助かった人たちやご遺族のお話などから状況を類推・考察すること。さらに、なぜこれだけの人たちが犠牲にならなければならなかったのか。同じ悲劇を繰り返さないための課題と教訓を微力であっても追究することだと思った。東日本大震災で2万人を超える人たちが犠牲になってしまった。津波常襲地域だからこそ備えも訓練も万全だったはずなのに、なぜこれほどの人が亡くなってしまったのか。誠実に生きてきた人たちばかりである。指定された避難所や津波避難場所まで流されている。何かが間違っている。防災庁舎は不条理な東日本大震災のシンボルであり、家族を思いつつ最後まで闘い続けた勇者たちの戦場であった。ただそれを美談で終わらせてはならない。ご本人やご遺族にしてみたら美談なんかではないはずである。彼らの思いを無駄にしてはならない、悲劇は繰り返してはならない。無念を晴らせ!鉄骨だけの防災庁舎と円陣の写真が今も訴えかけている。


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