南三陸町 屋上の円陣 ―防災対策庁舎からの無言の教訓―

「きっと守り抜く」 宮城県南三陸町の防災対策庁舎の屋上で円陣を組み、必死に津波に耐えようとしている人たちがいた。 そこには、強い決意で女性、高齢者、若い職員たちを円陣の内側に入れ、生死の瀬戸際にありながら、最後まで人間の尊厳と誇りを失っていない姿があった…。 「その時、何が起こっていたのか」今だからこそ明らかにできる防災・危機管理アドバイザー山村武彦による渾身のノンフィクション。


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22震災後に振り返れば、その記事は誤認というかエキスパートエラーだった。結果的にその地震が東日本大震災の前震だったのである。起きた地震が自ら「私は前震です」と名乗ってくれない以上、発生した地震の後に本震がくる可能性も視野に入れておかなければならないという教訓を残した。午後2時46分、小さな揺れと同時にJアラート(全国瞬時警報システム)の警報音が鳴り「緊急地震速報(警報)です」の音声が流れる。その数秒〜10秒後ぐらいに防災庁舎は猛烈な揺れに襲われた。気象庁などの資料では地震波検知後8・6秒後に緊急地震速報(警報)発表、南三陸町にS波(大揺れ)が到達したのが緊急地震速報から約10秒後とされている。緊急地震速報は携帯電話にも届くはずだが、智さんはじめほとんどの職員がよく覚えていないという。小さな揺れの後いきなり大揺れが来たという人も多い。(衝撃的災害を経験すると、その前後の記憶が飛んでしまうこともある。)2日前の震度4の揺れとは全く異なる激しい揺れだった。経験したことのない地響きと轟音を伴っていた、鉄骨の建物がぎしぎしと鳴り、窓ガラスは割れなかったが、揺れに合わせてガタガタ、バタンバタンと何かがぶつかる音がする。天井からポールで下げてあるテレビが大きく揺れている。並べてあった机がずれ動き、引き出しが飛び出し、書類などが落下散乱する。智さんにとって周囲で起きていることが緩慢な動きに見え、すべてスロー


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