南三陸町 屋上の円陣 ―防災対策庁舎からの無言の教訓―

「きっと守り抜く」 宮城県南三陸町の防災対策庁舎の屋上で円陣を組み、必死に津波に耐えようとしている人たちがいた。 そこには、強い決意で女性、高齢者、若い職員たちを円陣の内側に入れ、生死の瀬戸際にありながら、最後まで人間の尊厳と誇りを失っていない姿があった…。 「その時、何が起こっていたのか」今だからこそ明らかにできる防災・危機管理アドバイザー山村武彦による渾身のノンフィクション。


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21第2章「奇跡のイレブン」それぞれの3・11震度1以上の余震が9日だけで19回。翌10日に13回も発生している。震災当日の3月11日も午前1時55分、6時50分、7時44分にそれぞれ震度1か2の地震が発生していた。震源が浅かったにしても、海域の地震でこれほど余震が頻発するのは少し異常だった。この2日前の地震について、河北新報は翌日の朝刊に専門家の意見を載せた。見出しは「三陸沖M7・3、宮城県沖地震『連動型』の危険性は低下か」となっていた。記事によると、─3月9日、三陸沖を震源とした宮城県北部で震度5弱を観測する地震が発生。東北大学地震・噴火予知研究観測センターの某教授はこの地震について、「予想される宮城県沖地震と直接の関連はないが、宮城県沖地震で複数の断層面が同時に滑る、『連動型』の危険性が下がった」との見解を示した ─と書かれていた。当時恐れられていた最悪の地震は、この「連動型」である。宮城県沖(牡鹿半島沿岸からその東方)と、さらに東側の震源域とが連動して地震が発生すると宮城県沖地震が単独発生よりひとまわり大きな地震となり、M7・8〜8・2程度の巨大地震になると想定されていた。それを44万部発行の有力紙が連動型発生の危険性は低下と報じたのである。智さんもその記事を見たが、専門家の意見は一つの見方であってそのまま信じるわけにはいかないと思っていた。


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