南三陸町 屋上の円陣 ―防災対策庁舎からの無言の教訓―

「きっと守り抜く」 宮城県南三陸町の防災対策庁舎の屋上で円陣を組み、必死に津波に耐えようとしている人たちがいた。 そこには、強い決意で女性、高齢者、若い職員たちを円陣の内側に入れ、生死の瀬戸際にありながら、最後まで人間の尊厳と誇りを失っていない姿があった…。 「その時、何が起こっていたのか」今だからこそ明らかにできる防災・危機管理アドバイザー山村武彦による渾身のノンフィクション。


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19第2章「奇跡のイレブン」それぞれの3・11える必要があるということを伝えなかった。今更ながら悔やまれてならない。震災後1週間目、南三陸町に入った。1年前、危機管理課で話し込んだ防災庁舎を見て息を飲んだ。事前に映像で見ていたし覚悟していたつもりだったが、漁網・ロープ・浮き玉などの漂流物が幾重にもからまり垂れ下がり、その下にむきだしの赤い鉄骨だけの無残な姿(写真)。傍若無人の津波が人間の無力さをあざ笑うかに見え怒りさえ覚えた。犠牲者のご冥福を祈り、ただひたすら手を合わせるしかなかった。防災庁舎の前のチリ地震津波到達水位の標識は倒され泥にまみれていた。あれから5年、智さんは震災時よりも幾分太ったように見えた。42年間の重責から解放されたからか口調も吹っ切れたように感じた。2011年3月17日・震災後の防災庁舎/撮影:山村武彦震災直後・2011年3月防災庁舎の標識/撮影:山村武彦


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