南三陸町 屋上の円陣 ―防災対策庁舎からの無言の教訓―

「きっと守り抜く」 宮城県南三陸町の防災対策庁舎の屋上で円陣を組み、必死に津波に耐えようとしている人たちがいた。 そこには、強い決意で女性、高齢者、若い職員たちを円陣の内側に入れ、生死の瀬戸際にありながら、最後まで人間の尊厳と誇りを失っていない姿があった…。 「その時、何が起こっていたのか」今だからこそ明らかにできる防災・危機管理アドバイザー山村武彦による渾身のノンフィクション。


>> P.24

17第2章「奇跡のイレブン」それぞれの3・11達水位を示す標識が町中に立っていたことである。志津川駅前に1・9Mの標識、チリ地震津波記念公園(松原公園)内には2・6M、公立志津川病院前は2・8M、防災庁舎の前にも2・4Mの標識が立っていた。危機管理課で、「津波対策で何かアドバイスがあれば……」と促され、私はそのことを話した。「町中いたるところにあるチリ地震津波の水位標識は、モニュメントとしていくつかを残し、ほかはできるだけ早く撤去すべきではないか。注意喚起としては役立つだろうが、あれほどたくさん津波標識があると、住民は知らず知らずに標識の津波高さにとらわれてしまい、避難のタイミングや避難場所の判断を誤る心配がある。なぜならば次の津波がチリ地震と同じ津波高さとは限らないのだから」と。それは防災心理学でいうところの「アンカリング」を懸念したからである。錨(アンカー)を下ろすと船は安定する。その反面、船と錨を結ぶ鎖の長さ分震災前・2009年12月防災庁舎の標識/撮影:山村武彦1960年チリ地震津波・到達水位2.4M


<< | < | > | >>