南三陸町 屋上の円陣 ―防災対策庁舎からの無言の教訓―

「きっと守り抜く」 宮城県南三陸町の防災対策庁舎の屋上で円陣を組み、必死に津波に耐えようとしている人たちがいた。 そこには、強い決意で女性、高齢者、若い職員たちを円陣の内側に入れ、生死の瀬戸際にありながら、最後まで人間の尊厳と誇りを失っていない姿があった…。 「その時、何が起こっていたのか」今だからこそ明らかにできる防災・危機管理アドバイザー山村武彦による渾身のノンフィクション。


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16年、遠く南米チリで発生した地震津波にもかかわらず日本で119人もの犠牲者を出した。そのうち41人という、県内で最も多く犠牲者を出した南三陸町には以前からも何度か訪れていた。当時、町にとって直近の大災害はこのチリ地震津波だった。毎年5月24日には必ず防災訓練を行ってきたことからも推測できる。震災の2年前、私は南三陸町役場に隣接する防災庁舎(写真)の2階にあった危機管理課を表敬訪問した。そこで職員たちと1時間ほど懇談したのがきっかけである。講演を聴いたことがあるという阿部慶一課長を始め、皆さん私のことはよく見知っていて真摯な態度で耳を傾けてくれた。智さんの話ではその時危機管理課にいたのは阿部課長、三浦毅課長補佐、智さん、お茶を淹れてくれた遠藤未希さんの4人だったという。魚はうまいし素朴で温かい人情味あふれる人たち、気疲れしないほっこりした南三陸町が好きだった。しかし町で一つだけ気になっていたことがある。それはチリ地震津波の到2009年12月・震災前の防災庁舎/撮影:山村武彦


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