南三陸町 屋上の円陣 ―防災対策庁舎からの無言の教訓―

「きっと守り抜く」 宮城県南三陸町の防災対策庁舎の屋上で円陣を組み、必死に津波に耐えようとしている人たちがいた。 そこには、強い決意で女性、高齢者、若い職員たちを円陣の内側に入れ、生死の瀬戸際にありながら、最後まで人間の尊厳と誇りを失っていない姿があった…。 「その時、何が起こっていたのか」今だからこそ明らかにできる防災・危機管理アドバイザー山村武彦による渾身のノンフィクション。


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12防災一筋42年──危機管理課佐藤智氏の3・11最初にインタビューに応じてくれたのは屋上のポールによじ登って助かった危機管理課係長兼住民安全係長の佐藤智さとしさん。智さんとは震災前にも防災庁舎でお会いしていたが、震災直後にベイサイドアリーナに陣中見舞いに伺った際も町長と一緒に対応してくださった。その後も折に触れご教示をいただいている方である。(南三陸町は佐藤、阿部、三浦、及川など同姓が多く、職員同士もみんな名前で呼び合っている。そこでこの項以降、混乱を避けるため極力姓を省き名前で呼ばせていただく。)地震発生当日、防災庁舎にいた危機管理課職員4人のうち3人が犠牲になった。同課でただ一人助かった智さんに、その時何があったのかを聞いた。智さんが重い口を開いたのは定年退職した翌年、震災からちょうど5年目の2016年3月のことだった。智さんの家は町の南東部に位置する戸と倉ぐら地区にあった。戸倉地区は1955年入谷村INTERVIEW1


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