南三陸町 屋上の円陣 ―防災対策庁舎からの無言の教訓―

「きっと守り抜く」 宮城県南三陸町の防災対策庁舎の屋上で円陣を組み、必死に津波に耐えようとしている人たちがいた。 そこには、強い決意で女性、高齢者、若い職員たちを円陣の内側に入れ、生死の瀬戸際にありながら、最後まで人間の尊厳と誇りを失っていない姿があった…。 「その時、何が起こっていたのか」今だからこそ明らかにできる防災・危機管理アドバイザー山村武彦による渾身のノンフィクション。


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11第2章「奇跡のイレブン」それぞれの3・11の全電源喪失」などなど。そこで用いられる想定外という言葉の裏に「人知を超え、想定できなかった災害」であって「予見できない不可抗力」言外に「責任追及はタブー」としたい見え透いた思惑が見える。結果事象から一般市民が想定外と言うのは当然であるが、専門家といわれる防災関係者や原発関係者までもが発すべき言葉ではない。彼らがいう想定外は、想定できることを想定しなかったものの言い訳にしか聞こえない。この災害をただ想定外と言って目をつむり片づけてしまったら、同じ悲劇がまた繰り返されてしまう。何かが間違っていたのである。もしかしたら防災先進国という過信からくる不作為の悲劇なのかもしれないのである(第3章「敵は『被害想定』にあり」169ページ参照)。震災当日、防災庁舎でいったい何があったのか、長年にわたり津波に備えてきた町がなぜこれほど多くの犠牲者を出さなければならなかったのか。東日本大震災のシンボルとなった防災庁舎を通じ不条理な真実の一端を解き明かしたい。そのためにも防災庁舎にいて奇跡的に助かった11人の話を聞こうと思った。交渉した結果、体調を崩していたお一人を除き10人が快諾してくれた。応じてくださった方々に心より感謝しつつ、以下にそのインタビューをまとめてみた。(役職及び年齢等は当時のもの)


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