南三陸町 屋上の円陣 ―防災対策庁舎からの無言の教訓―

「きっと守り抜く」 宮城県南三陸町の防災対策庁舎の屋上で円陣を組み、必死に津波に耐えようとしている人たちがいた。 そこには、強い決意で女性、高齢者、若い職員たちを円陣の内側に入れ、生死の瀬戸際にありながら、最後まで人間の尊厳と誇りを失っていない姿があった…。 「その時、何が起こっていたのか」今だからこそ明らかにできる防災・危機管理アドバイザー山村武彦による渾身のノンフィクション。


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10地上12Mの防災庁舎を15・5Mの津波が襲った。もし、その屋上で生き残れたとしたら、それは奇跡としか言いようがない。屋上にいて助かった10人と屋上から流されて畳にすがって命を取り留めた1人を私は敬意をこめて「奇跡のイレブン」と呼ぶ。震災当時、5362世帯、人口1万7666人の町で、死者行方不明者832人、半壊以上の建物損壊3321戸(世帯数の61・9%)という甚大な被害を出し、ピーク時には33の避難所に9753人(人口の55・2%)が避難せざるを得なかった南三陸町。震災直後から被災状況と町の復興推移を見守ってきた。しかし、現地を回り調べれば調べるほど、東日本大震災はどの災害とも異なるきわめて特異な災害だと思った。大規模地震、大津波、そして原発事故というかつて人類が経験したことのない「広域複合大災害」である。自他共に認めていた防災先進国というスタンスと被害の甚大さとのギャップはあまりにも乖離している。納得できる説明がなく、被災者や遺族の心を未だ癒せていない。「よその国が同じ災害に襲われたら、もっと被害は大きくなっていただろう」はなんの慰めにもならない。震災後、政治家をはじめ防災関係者や原発事業者さえも「想定外」という言葉で現実を糊塗しようとした。「想定外の津波」「想定外の超巨大地震」「想定外の広域災害」「想定外


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