石原信雄回顧談 一官僚の矜持と苦節

自治官僚として今日の地方財政制度の基盤を築き、 内閣官房副長官として7人の内閣総理大臣に仕えた石原信雄氏の足跡!


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リクルート事件で満身創痍…………15リクルート事件で満身創痍‒昭和六二年一一月に竹下内閣が発足します。竹下さんはどんな方だったでしょうか。石原総理にもいろんなタイプの人がいますけれども、竹下さんはいわゆる気配りの人であり、調整型の総理でした。そして大変な政策通である。いろいろな意味で、歴代総理の中でも特異な存在だったんです。特に気配りという点では。私は官邸勤めが初めてだったこともあって、あちこちへの気配りは苦手で、私がぼやっとしていると竹下総理が気をきかせて先にやったりして、あとで総理から解説されることがよくあったんです。私は恐縮しちゃうわけです。国会対策は官房長官や政務の副長官が日常的にやっているんですが、大きなポイントは、総理自らが、いろいろ手を打っていました。例えば、当時は自民党と社会党の二大政党で、社会党が野党対策の中心でしたけれど、社会党の幹部に総理自ら気配りしていました。それが、国会運営を非常にうまく進める要因になっていたんです。次に、官邸にとって大事なことは、各省の幹部を把握することですが、竹下さんは佐藤栄作内閣で官房長官を長くおやりになっていて、佐藤総理から「各省の幹部の人間関係をしっかり把握することが内閣にとってきわめて大事だ」と言われたらしいんです。そのことを私は竹下さんに聞いたことがありまして、竹下さん自身が各省の幹部のことを実によく知っていました。何年採用だとか、奥さんが誰の娘だとか、誰の後輩だとか、そういう人間関係を実によく知っておられた。


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