石原信雄回顧談 一官僚の矜持と苦節

自治官僚として今日の地方財政制度の基盤を築き、 内閣官房副長官として7人の内閣総理大臣に仕えた石原信雄氏の足跡!


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記者クラブに気を付けろ…………3記者クラブに気を付けろ‒自治省退官後、官房副長官として七年余にわたり七人の首相にお仕えした時代のことについて伺います。昭和六一年に退官後、地方自治情報センター理事長を務めていらっしゃいました。副長官就任の打診は、どのようなタイミングで、またどのようなかたちであったんでしょうか。石原私が退官したのは昭和六一年七月二日付じゃなかったでしょうか。その後、地方自治情報センターに移ったのは一~二か月後です。すぐではなかったのです。中曽根康弘総理の秘書で上和田義彦さんという、中曽根さんが信頼していた有能な秘書がいるんです。翌六二年にその人が私を訪ねてきた。当時、中曽根内閣の官房副長官は厚生省出身の藤森昭一さんでした。藤森さんは中曽根内閣時代ずっとですから、四年以上務めていまして、それで多分、中曽根総理としては、「次の内閣のときは藤森君は代わるから、そのあとに考えてるようだよ」と。中曽根総理は次の人に対する何か考えをお持ちだったようで、何となくそんな話が私のところに来たんです。それが予告だか何だか知らないのですが、でもはっきりした通告じゃなかったものですから、「はあ?」なんて言っていたんですが。上和田さんは同じ群馬県の人なんです。その後、正式に「官邸の方に来るように」と言ってきたのは、後藤田正晴さんです。後藤田官房長官から連絡がありました。当時、安竹宮、つまり安倍晋太郎さん、竹下登さん、宮澤喜一さん、この三人が後継総理候補者だったわけです。そのうちのだれが総理になるのかという話はぼつぼつ始まっていた、そのころで


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