石原信雄回顧談 一官僚の矜持と苦節

自治官僚として今日の地方財政制度の基盤を築き、 内閣官房副長官として7人の内閣総理大臣に仕えた石原信雄氏の足跡!


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地方財政平衡交付金から地方交付税へ…………7実際には一〇五〇億円しか確保できませんでした。しかもシャウプ勧告には地方の財政需要と財政収入の差額をそのまま積み上げて財源総額とするようにと書かれていますが、そんな作業はできないわけです。そこで、地方配付税の根拠となる地方財政推計をもとにマクロで算出せざるを得ないのです。一二〇〇億円はドッジ・ラインでカットされた地方配付税をベースに税制改正その他を考慮して決まったものですから、そもそも非常に無理な数字だったのです。そして、その額さえも実現しませんでした。そういうことで、私の入庁当時は、地方は各府県の知事はじめたいへんな不満を持っていまして、財源をどうやって取り戻すのか、本来の姿にどう戻すのかということが、いわば共通認識としてあったわけです。毎年地方財政平衡交付金の予算折衝に当たって、切った張ったの議論をするのはかなわないと知事さん方は思うし、自治庁も同じ考えです。一方の大蔵省も、予算編成で最後までもめるのは、いつも地方財政平衡交付金でしたから、予算折衝をしないといくらになるのか分からないのはかなわないと考えており、双方の考え方は一致していました。そこで、地方配付税時代に戻って特定の税に対して一定の割合を決めて、それで地方に配分するという方式でいったらどうかという考えが両方にあったと思います。当時の知事さん方も同じ意見、同じ感覚でした。また、自治庁に戻ってきたときにも地方財政平衡交付金の方がよいという意見は財政課にはありませんでした。私が戻ったときの財政課長は奥野誠亮(3)さんです。奥野さん自身は地方財政平衡交付金を立案された方ですが、金額の問題でたいへんに苦労されていました。途中から課長は柴田護(4)さんに代わられたんです。確か昭


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