石原信雄回顧談 一官僚の矜持と苦節

自治官僚として今日の地方財政制度の基盤を築き、 内閣官房副長官として7人の内閣総理大臣に仕えた石原信雄氏の足跡!


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元気の源…………3元気の源‒昔は採用年次が一年違うと家来も同然だと言われました。私は石原会長の二〇年後輩ですから、こうも違うと、家来の一体何だということになりますが、同じ屋根の下で仕事をさせていただいているというご縁もありますので、いろいろとお話を伺っていきたいと思います。日頃拝見していますと、会長のところには千客万来ですね。大体は役所を辞めて七〇歳前後ぐらいまでは再就職でいろいろな仕事をするんですが、会長の場合ははるかにそれを超えて、未だにマスコミの取材や、政府から意見を求められたり、国会に出かけて行かれたりとされているわけです。次第に齢を重ねてきますと、社会性を失っていく人が多いのですが、九〇歳におなりになって、そうした社会性を失わず、なおかつ、いろいろな人から見解を求められてそれにお答えになっている、その活力は一体どこから出てくるのでしょうか。石原僕は、もともと身体は丈夫。今日まではね。公務員もかつては定年が五五歳ですよね。それがやがて六〇歳になって、今や六五歳まで延ばそうかという世の中だけれど、多くの人が大体六〇歳近くまでは現役で、それを過ぎたら第二の人生でね。民間と公務員の場合とでは若干違うのかもしれないけれども。六〇歳過ぎで現役は退いても、その後、何らかの第二の人生ということで、いろいろな仕事をして六五歳あるいは七〇歳ぐらいまでの間は働いて、それから先は悠々自適というのが普通の人の人生だと思うんです。最近は日本人の平均寿命が伸びてきて、男性の場合は平均して八〇歳ですから、むしろ七〇歳を過ぎたあ


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