南三陸町 屋上の円陣 ―防災対策庁舎からの無言の教訓―

「きっと守り抜く」 宮城県南三陸町の防災対策庁舎の屋上で円陣を組み、必死に津波に耐えようとしている人たちがいた。 そこには、強い決意で女性、高齢者、若い職員たちを円陣の内側に入れ、生死の瀬戸際にありながら、最後まで人間の尊厳と誇りを失っていない姿があった…。 「その時、何が起こっていたのか」今だからこそ明らかにできる防災・危機管理アドバイザー山村武彦による渾身のノンフィクション。


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2三陸・金華山沖から常磐沖にかけては世界三大漁場の一つである。魚の回廊とも呼ばれるこの海域は魚種、漁獲量とも群を抜いた超優良漁場として沿岸を潤してきた。その恵みの海が突然牙を剥いた。海面が盛り上がり、海全体が一度に陸に水平移動したのである。今や南三陸町は防災対策庁舎の屋上と同じ高さの海になってしまった。県の被害想定の予想津波高は最大6・7Mだった。なのに地上12Mの屋上を濁流が流れている。写真は次の大波に備える人たちを捉えていた。屋上まで津波は来ないと信じていた人たち、そのひざ上まで今は冷たい海水が浸している。もうこれ以上逃げ場はない。しかし、人々は泣き叫ぶでもなく、取り乱すでもなく。緊張と不安を浮かべながらも……静かに、だが決然と円陣を組み、さらなる脅威に備えようとしている。表紙の写真は町職員で広報担当の加藤信雄氏が撮影し、震災1年目の2012年3月10日にNHKが放送したものである。円陣を組むことを心理学では「サイキングアップ」と呼ぶ。肩を組み、声を出して一体感を高め、怯まず敵に立ち向かう団結効果があるとされている。(以下、生還者の話などから類推する。)よく見ると円陣は2つあった。防災無線のポールの根元の床面より50㎝ほど高いコンクリート架台に上がり、ポールを中心に集まった上段の円陣。それに寄り添うように身を寄


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